Act.08 普通の日々。 普通って何だろう。私はあの人に恋をしたけれど、それは禁じられたこと。 恋をするのは普通なのに相手が警官だってだけで、怪盗の私は諦めなければならない。 なんで私は怪盗で、彼は警官なのだろうか。 私は普通の女の子、彼は普通の男の人。それでいいじゃない。 「起立、気をつけ。礼」 「ありがとうございました」 今日が終わり、人々は次々に教室を出て行く。けれどただ一人未結は裕太の机を眺めて帰る様子を見せなかった。 「何してん。終礼したんやから帰ってえぇねんで」 未結を見つけて近づいていく西沢。呼んでも気付かないので裕太の椅子に座って。 「西…沢?」 「先生が抜けとんで。全くどないしてん、授業中もぼーっとしよって。ノートも取ってへんやん」 「…そんな気分じゃないんだもん」 未結はそういうと下を向いてため息をつく。西沢はそんな未結の心の変化が気になって考え込むとある一つの策を提案した。 「月浦。明日補習な」 「は?」 「せやって月浦なぁんも書いてへんし、ついでに聞いてもおらんかったんやろ?」 「…そりゃ…ね」 「やったら決まりや。えぇな、明日の放課後に図書室で」 「わかった」 未結が気乗りしないながら返事をすると、頭をくしゃりと掴んで撫でる西沢。「ちゃんと戸締りせぇや」そう言って鍵を渡し手を振ると教室から去っていった。 微かにパパと同じ香水の香りがした。 教室を出て昇降口に行くと、人影を見つけて未結は足を止めた。 「黒塚君?」 そこに立っていたのは黒塚だった。未結が首を傾げて呆けていると「待っていたんだ」黒塚は言う。「私を?」未結は理解できずに佇んだ。 「別に深い意味はないよ。月浦さん今日ずっと心ここにあらずって感じだったから、ちょっと心配でね。一緒に帰ろうかなと思って」 「えっでも、黒塚君。裏地じゃなくてセレブ街の方の家じゃなかったっけ…」 「いいんだ。今日は裏地に用があるから。さ、行こ」 黒塚に手を引かれ、未結は手前によろめく。鞄を持たれて未結に残された道は黒塚に送ってもらうしかなかった。 ラコンドについた未結は内山を見るなり、凄い形相で訴えた。 『…彼氏な…』 『わけないでしょ!いい、早めに追い返したいから手伝ってよね』 内山は未結のアイコンタクトにひとつ返事で答えると、笑顔でカウンターへ二人を案内した。 カフェオレを出され、テレビを消して静かにクラシックが聞こえる店内。ゆったりとした時間の中を過ごしていた黒塚は、歓喜に満ち溢れていた。 「素敵な店だね。月浦さんのところ」 「…うん」 店内の雰囲気といい、裏地だというのに客の品の良さといい、セレブ街にあってもおかしくない。黒塚はカフェオレを嚥下しながら饒舌に語った。 黒塚が語り始めて数分。今日は早めに客が店を後にし、未結は今までにない好機を掴んだ。内山に目配せし、タイミングを見計らってさりげなく追い返す。その一連の行動を今こそすべきだと。 だが、未結が内山に目配せする前に黒塚と目が合ってしまい、それ以上何も言えなくなってしまった。 「ねぇ、月浦さんのご両親はここで働いているわけじゃないの?」 にこにこと微笑む黒塚。それは無邪気さからくるのか、はたまた計算の上なのか。未結は込み上げる罵倒を抑えて「違うけど」と答える。すると黒塚は仰々しく驚き、それから未結を同情した。「あぁ、月浦さん。余計なことを聞いてごめん」耐え切れず未結は椅子から立ち上がると「裏地に用事だったんじゃないの」黒塚に向かって出て行け。そう罵った。しかし黒塚は怯む様子もなく「用は済んだ」と答えるとラコンドを出て行った。 出て行った後、机の上にお金がないことに気付き、未結は内山に謝った。ごめん。無銭飲食だね。しかし内山は少々乱暴に食器棚を閉め、別に平気やと答えると未結の頭を撫でた。 「あいつに俺の満足のいくコーヒーは出してない」 ××× 翌日、裕太のいない机の他にもうひとつ空きができた。 「今日は黒塚休みか」 西沢が出席簿に印をつけ、出席確認を再開する。未結は自分が呼ばれるまで、黒塚の机から視線を離すことはなかった。 「では、授業を始める」 つまらない授業を受け、苛立ちと退屈に耐えかねて背伸びをする未結。頭の固い古典のザビエル頭が未結の行動に目をつけ、さっきから何度も睨み付けていたが未結は一向に気にする気配を見せない。 「月浦!お前は俺の授業を聞く気がないのか!」 「別にぃ。邪魔してないからいいじゃないですか」 未結の悪ぶれもない言いぶりに、古典のザビエル頭は沸点を超え、野太い声で注意する。それに未結も反発し、大きな声で「気色の悪い声は耳障りだ」と言えば、廊下に立ての声。 「戻ってくるな!」 未結が出て行くとき、念押しのようにザビエル頭は言っていたが、未結は未結でぼそりと呟いていた。誰が戻ってくるもんですか、と。 暖房の効いていない廊下に放り出された未結は、まず保健室へ向かうことにした。あそこなら静かだし暖房が効いているし、何より寝るためのベッドがある。寝ていればこのイライラも少しは治まってくれるのではないかと思い、たどり着いた保健室のドアを開けた。が、ドアが開かない。どうやら先生が出張のようだ。あまりに寒くてピッキングしてやろうかと未結は考えたが、手がかじかんで動かない。 さて、どこへ行こうか。保健室が入れないとなれば、後は屋上と図書室しかない。しかし生憎寒いのにわざわざ屋上に行くほど馬鹿ではない。となれば、図書室。誰もいないといいが。 図書室を見つけると都合のいいことに鍵が差しっぱなしだった。 「ラッキー」 未結は室内へ入って暖房という暖房をつけ、席に落ち着く。本は読む気がないから机に伏せて携帯を弄る。着信のない携帯は待ち受けの月夜のみを映し、後は無音だ。 未結は適当にアラームをセットして夢へ旅立った。 次の時間、教室へやってきた西沢は朝居たはずの人物がいなくなっていることに気付いた。 「あれ、月浦はどこ行ってん?」 出席をつけていた手を止め、生徒達に答えを仰ぐ。すると生徒の一人が先ほどの古典の時間に追い出されました、の一言。所在はどこだとその生徒に問うたが、そこまではと言葉を濁した。 「さよか」 西沢は一つ返事をすると、とりあえず月浦未結と書かれた欄に『保健室』と記入し出席を再開した。 「すぐ戻ってくるやろ」 しかし、いくら待てども未結が西沢の時間に戻ってくることはなかった。 西沢は教室を出て職員室に戻り、たまたまコーヒーを飲んでいた保健医に未結がいるかどうかを聞いた。 「神田先生。うちのクラスの月浦来てへんかったですか?」 「いいえ。私さっきまで保健室を閉めていたので、来てないはずですよ」 「ほんまですか。…ありがとうございます」 さて、何処行っただろうか。次の時間までしばらく時間がある西沢は、こうなったら自分で探そうと校舎内を走り回ることにした。 一方夢の中の未結はいつか見た夢の続きを見ていた。 「こっちにこないで」 近づく五人の男。怪盗の姿とバレてはいけないのは内二人。 隠れる場所はなくて、走り出せば自分の正体なんてすぐに分かってしまう。でもその間にも男達は近づいていて。もうだめだ。未結がそう思った時、未結の元へ二つの影が差した。 「パパ…ママ…」 影を追った先にあったのは怪盗姿の二人。優しい目をして未結を呼ぶ。未結には二人が神のように思えた。 「パパ…っ、ママ…っ!」 声が幼くなり、体もいくらか縮んでいるような気がしたが、構わず未結は二人の元へ駆け寄る。けれど、 ―――。 鈍い音がして崩れる二つの肉塊。何も言えなくて、十になった未結が振り向いた先で銃を握っていたのは。 「…浦…月浦!しっかりせぇや!」 「そんな…パパとママは…」 「え?」 ―貴方が殺したの? ××× 目が覚めたお前は錯乱状態で、何度も俺を見て胸元を叩き「なんで殺したの?」と心の声で叫んでいた。その時、あぁやっとこいつは俺の本当の正体に気付いたんや。そう思った。 「ショックで忘れてたんだ。私パパとママが死んでしまったところ、見てたんだ。二人が消えた十歳の頃…、私は二人が出かける場所を偶然知った。度々私を置いてどこかに行くから、私も混ぜて欲しくて。だから、子供ながらに必死に夜中まで起きて、暗い中ビルに忍び込んで…」 ム西沢とパパとママが三人揃ってチームを組んでビルに入ってきて。んで、そのビルのオーナーの部屋から無理矢理奪い取られた宝石を取り返した。 けれど、それはそのオーナーと手を組んでいた西沢の罠で。パパとママは西沢の入っていたグループから抹殺計画を企てられていた。だから二人は宝石を捨てて逃げた。そのまま逃げればよかったのに、落とした宝石を私が拾って。人質にされて…そして…。 「俺が殺した…。二人を」 「どうして殺されなければならなかったの…。二人はこの秋地町の人々の夢や希望を守ってきただけじゃない」 「邪魔やったんや。あの二人がいたら、俺達の計画は失敗してしまう」 「何よ!二人を殺さなければならなかった計画って!」 「…それは言われへん」 俺はそう言って、起こすためにしゃがみ込んでいたのを止め、月浦の隣の椅子に座った。月浦は机の上に置いていた携帯を握りしめ、ただひたすらに涙を堪えとった。俺は、お前が何も知らんっていうのも可哀想になって、一つ二つだけ他言した。 「ただ、俺が今回頼まれた仕事。それは言える」 「え…」 「…お前の抹殺や」 後生やから堪忍して、その瞳。苦しいやないか。 「私を…殺す?」 「せや。お前が怪盗でいる限りはお前の両親同様邪魔で仕方ないねん。やから、お前が怪盗を止める言わん限り…。俺はお前を殺さなあかん」 すると月浦は下を向いたまま黙り、何かを思うように目を閉じた。なんや、今すぐ俺に殺してほしいんか? したら、違った。月浦がもう一度目を開けて俺を見た時には、さっきまでの泣きべそなんてどこにも残ってへんかった。あるのは…怪盗としてのプライドを背負った、たった一人のプロの目だった。 「じゃあ、ゲームしましょう。私がゲームで負けたら怪盗を止める。でも勝ったら、私は私の思う通りにやる。貴方に殺されはしない。その前にその組織を潰してやる」 あぁそうか。お前は決意したんやな。 「えぇで。その代わり、依頼内容はこっちが決めさせてもろてもえぇか」 「構わないわ。私はプロだもの」 「さよか」 俺は月浦の言葉を聞き取ると立ち上がった。月浦は何処行くのと続けて立ち上がる。あほやな、月浦。見てみぃ、時計を。 「…六時?」 「補習は終わりや。お前三時間目からここに居ったのにぎょぉさん寝とったなぁ。あんまり寝てばっかりおったら牛になってしまうで」 「…な、なによ!」 馴れ合いはこれが最後や、月浦。次お前と視線をぶつける時は。 ―俺がお前に銃を向ける時や。 ××× その日、俺は少しおかしかった。 いつも通り何をするでもなく温かい紅茶を啜り、いつ来るかも分からない予告状を待っているはずだった。 「おい板山」 「はい、何ですか?」 本を読んでいたはずの堤田さんに呼ばれそちらを向く。堤田さんは何かをこちらに向かって投げ、俺は慌てふためきながらその何かを受け取る。そこには総合病院の病室ナンバーが記されていた。 「これは?」 何なんだこれ。俺は思わず堤田さんに指示を仰ぐ。だが堤田さんは俺に指示をくれるわけでもなく、自分の飲んでいたコーヒーカップをこっちに突き出すと「コーヒー」それだけを俺に伝えた。 何なんだ全く。言われた通り律儀にコーヒーを準備した俺は吐き捨てるように外へ行くと言い、部屋を後にする。 「二一四号室」 車に乗って冷えきった車内やエンジンを温める間、さっき受け取ったメモを読む俺。この番号…どこかのあいつに似ている気がしてなかった。 「月夜…ってな。一が無理矢理だよな」 まぁとにかく、行ってみるとするか。 病院について案内されたのは意外にもあの女の子の友達だった。 「…なんや。警察の方が俺に何の用やろか?」 ぶっきらぼうに挨拶をする梶村青年。前にもあの火事の時に対面は果たして居た。俺は彼の隣へ行って客用に準備された椅子に腰を下ろした。 しかし、何を思って堤田さんはこれを渡したのだろうか。別に俺はこの青年に会いたいとは一言も言ってないしな…。 「…おっさん。面会時間は十分につき千円やで」 と俺が惚けていると、大きな溜め息をついて彼は言った。十分で千円とはぼったくりもいいとこだ。俺はとりあえず彼に堤田さんからのメモ書きを渡してできる限りの説明をする。彼は時折ぽかんと口を開けていたが退屈しのぎの相手にあると彼なりに俺を利用することで千円はチャラにしてくれた。 「さておっさん。何を話しましょ」 「…一つ話す前に訂正しておく。俺はおっさんではない。まだ二十六だ」 二十六でおっさんといわれてたまるか。堤田さんと一緒にするな。 「…っくしゅん」 どこかでくしゃみの声が聞こえた気がした。 「で、話を戻して。板山さんは結局何しにきたん」 あれから二時間は余裕で経ち、日も暮れ始めた頃、寝転び頭の後ろで手を組んでいた梶村君が不意に起き上がった。 「なぁ、もうネタはないで。話さんとまた俺退屈でたまらんくなるわ」 彼の声が針のように突き刺さる。俺の胸の奥にある何かに向かってその針は右往左往しながら取り除こうと必死になっていた。 一体何に苦しんでいるというのだろう。このわだかまりは何から生まれた?そして彼は何故それを引き出そうと悪戯な言葉をかけてくるんだ。 刹那―唐突にその謎は解き放たれた。 「月夜の怪盗のことは知ってる?」 「あぁ知ってるで」 口からこぼれ出す、いくつもの言葉の羅列。 「それは何で」 「俺のあこがれやから」 彼と共に紡ぎ出す旋律の奏で。 「じゃあその月夜の怪盗が女の子だってことも…」 「知ってる」 綺麗なのに彼の表情は曇るばかり。 「美人さんだよね」 「あぁ、惚れるくらい美人や」 涙を浮かべて何故俺に問う。 「…正体は?」 「……」 あぁ分かった。 「正体は…知ってる」 自分じゃどうしようもできない思いを俺に託そうとしてるのか。 「教えてくれる?」 「もうあんたは知ってる」 ―月浦未結のことを。 ずっとどこかにひっかかって、たまらず部屋をひっかきまわしてやろうと思った。けれど、そんな体力も残ってなくて。自分に呆れて。 俺がずっと憧れやった人。月夜の怪盗。十歳の時に未結の両親が居なくなってから不意に現れた俺の救世主。直接会いに来てくれへんやったけど、ずっと俺の心の支えを作ってくれてた。そしていつしか…。 俺の心を掴んで離さないあの人は一体誰? そんな問いが俺の…俺達の中で巡り出したんだ。 けれども今、ついに分かった。あの人はすぐそばでいつも見ていたんだ。 「あいつはそう簡単に捕まる代物やあらへん」 部屋を後にする時、布団の中でじっとしていた彼はドアの前に立ってた俺に言った。 「知ってる」 俺は彼の痛んだ心を傷つけないよう、それだけを彼に言い残した。 ドアを閉めれば、叫ぶのを必死に堪えて泣く声がする。 彼の思い。それは深く愛しいものだと伝え受けた。だから俺は行く。彼女に会いに。 「好きだから…」 全ての星が月の元へ集結した。 → |
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