Act.09 たった一つの…。

 家に帰って、いつもと同じカフェオレを飲んで。優しい内山さんの温かい手に撫でられ、私は眠りにつく。

 静まり返り、いつもカウンターで宿題を済ます未結も今は自室で寝ていて。最後のお客を見送った内山はドアに掛けてあるプレートを裏返そうと歩き出したが、思わぬ客人の来訪に内山はその場に立ちつくした。
「廣彰…」
「こないだぶりで」
 カウンターに案内された西沢は静かに出されたエスプレッソを嚥下しながら、内山に言った。
「帰ってきた未結、おかしかったやろ?」
「え?」
 唐突に言われた言葉に、内山は危うく持っていたカップを落としそうになる。確かに今日学校から戻ってきた未結はおかしかったが、何故西沢が知っている?そんな表情でそちらを見やると、西沢は隠していたことを全部話した。と内山に告げた。
「全部…?」
「せや。ぜぇんぶ話した。潜在意識の奥底で眠っていた辛い思い出が未結の中から思い出されたんや。まぁ、要は詮無いことやったっちゅうこっちゃな。あんたがずっと隠してきたことは」
 近くに居ても何もでけへんのは苦しいことやな。西沢は他人ごとのように話し、カウンターに肘ついて手を組んだ。内山は何も言えず、ただ黙って西沢の話に耳を傾ける。
「せやけど、未結は強なったで。俺が腕のたつあいつの両親と一緒に仕事してたの知ってるくせに、俺にゲームしかけてきよってん」
「未結が…?」
「そうや。『私がゲームで負けたら怪盗を止める。でも勝ったら、私は私の思う通りにやる。貴方に殺されはしない。その前にその組織を潰してやる』って豪語しよってん。あんたも未結をいい子に育てたんやなぁ。えぇ、親父や」
「俺はそんなの望んで…」
「ないやろな。死んでしまったら、あいつの両親から頼まれたこと破ってしまうことになるもんな」

―じゃあ、竜君。二階に寝ている未結を頼みます。
 待ってよ!今回の仕事やばいって親父言いよった。死ぬかも知れんって。なのに、未結ちゃんを俺に預けんの?
―私達がいなくなっても、竜君がきちんと未結を育ててくれるって信じてるからよ。
 でも、俺。由稀さんや淳さんみたいにできませんっ。未結ちゃんは、きちんと親に育てられるべきなんやと思う。
―竜君!
 淳さん…。やって…。
―貴方はちゃんとやれる。これから先このラコンドだって継ぐんでしょ?貴方は頼まれたことをきちんとやれる子よ。
「だから、未結をお願いね」
「由稀さん、淳さん。そろそろ時間です。行きますよ」
「あぁ、じゃあ廣彰君行くか」
 十八のあの日、未結の親に頼まれたこと。
―未結を素敵な人に育ててくれ。

「死んでもうたら、意味なきことやもんな」
 西沢は最後のエスプレッソを飲み干すと、ポケットの中から一枚の紙切れを渡した。内山は急いでその紙を広げる。そこには依頼書と書かれ、下にはずらずらと文章が並べられていた。
「…これって」
「それが、俺と月浦の勝負内容や」
「やけど、これじゃ未結には過酷すぎ…」
「これは月浦が!…月夜の怪盗がプロの意地として俺と約束したことや。仲介者としてきちんとこれを伝えてもらうで。えぇな」
「……」
 内山の無言を肯定ととった西沢は小銭を置いてドアへ向かう。内山は、布巾とマグカップを持ったまま立ちつくし、何も言わない。喉まで出かかった内山の声。けれど、ドアを開け振り返り様に見せた西沢の顔が未結の両親を殺しにいく日の寂しい顔に見えて。閉まったドアの音の後、ようやく出た内山の言葉は掠れて、誰も聞こえなかっただろう。
「お前、アホやん。こんな依頼書持ってきよって…。これ分かったらお前が組織に殺されてしまうんやないの?廣彰、答えろよ」

―廃倉庫の十一番倉庫。そこにある「月夜の女神」という絵画を奪うこと。そして、そこを仕切る組織を潰すこと。これが、俺とお前の勝負内容や。

「こんなことなら、高校で出会わなきゃよかった…」

×××


 店を出た西沢は、何をする訳でもなく昔行き慣れたラコンドから自分の家までの道のりを歩く事にした。
 古い町並み、あの人達とそれから内山と未結とかと手を繋いで歩いた日もあった。あの頃が懐かしいと、西沢は一時止めていたたばこをふかして思った。
 八年前、高校三年の俺は既に組織と手を組んで、でっぷり太ったオーナーの指示に従わなければならない状況下にあった。理由は親父の借金の肩代わり。まぁ、良くある話。俺が学校で怪盗になるなどと夢のあることを言っていたのを誰かが聞いたのだろう。
 残暑の厳しいある日、俺はそんな暑い日にも関わらず黒ずくめのスーツを着込んだ男達に連れられ、オーナーの元へ行った。
「なんやねんっ!離せ」
「まぁ落ち着くがいい。ゆっくり君と話がしたいだけなのだから」
「こんなんで落ち着けるかい!第一、俺はこれっぽっちも話すことはあらへん!」
「君の親父さんが、私から借金をしていてもか?」
 そこのオーナーは偉く意地汚い男やった。その借金を帳消しにしてやる代わりに、俺に裏の仕事を押し付けると言ってきた。…最初のうちは断っていた。返済額は軽いもんやないんやけど、悪に手を染めるくらいなら、苦しい人生を歩んでいった方がましやって。せやけど、男はその当時俺が一番なりたかったものにしてくれると言ってくれた。馬鹿な俺は、後から考え直せば嵌められたことにくらい分かるような事に、しっかりとやられてしまったのや。
「仕事の内容は、怪盗業だが…君が嫌というなら仕方ない」
「…やる」
 その一言さえなければ、俺はもう少しまともな人生歩めとったかも知れへんな。

 その後、ずるずると竜がいるラコンドで仕事を請けていた淳さんや由稀さんと同じチームで仕事をするようになった。
 途中から入ったにも関わらず、二人は俺の事を心底信用してくれて、時たま見せるその表情には、自分の親よりも親らしい温かさがあって。ずっと、こうやって楽しく裏の仕事をしていければえぇなって思っとったんに。現実はそう上手くはいかへんかった。
「次の仕事は、これなんだが」
 そう言ってオーナーから渡された仕事。それが月浦淳、由稀の抹殺やった。
 なんでこんな事せなあかんの!俺は当たり前のように抗議した。あんなに自分によくしてくれる人、周りにはずっといなかった。失いたくない人だった。けれど、抗議の意を示した瞬間、オーナーは俺に向かって鉛玉を放った。
 その時だった。自分がこの世界に踏み込んではいけないと感じたのは。でも時既に遅し。体はがくがくと震え、背筋はびっしりと冷や汗を掻き。目の前で蔑みの色で瞳を染めているオーナーの声で俺の体は言う事聞かんようなった。
 初めて死を間直に感じた。次の一撃で殺されるとも。畳み掛けるようにオーナーは言う。
「お前が二人を殺さなければ、お前が代わりに死ぬ事になるからな」
 当時の俺には自らの死を捧げる事はできなかった。
 そう、だから二人を殺して今現在ここにこうして生きている。耳に残るあの言葉を幾度も思い出しながら。
「私達が犠牲になって、貴方の未来が守られるなら喜んで死を迎えるわ」
「だが君は、犯罪を犯すのだ。君は背負わなくてはならない」
 心を鬼にしろ。この世界で生きていたいのなら、躊躇う事なく引き金を引け。

 昔の俺は、負け犬や。
 せやけど、今は違う。今の俺は…鬼で居らなならんのや。
 命を奪う事を躊躇ったら…あかんのや…。
 それで…えぇんよね?由稀さん…。

×××


 翌朝はとても晴れていて、誰の心も全て曝け出してしまうんじゃないかと思うくらい澄み切っていた。
 そんな日に板山はだらしない格好でリビングに現れ、いつものようにリモコンでテレビをつける。
 好みの美人アナウンサー、七時の時報。
 何もかもいつも通りだというのに、今日は何故か力が入らなかった。いや、それもいつもでは?と言われてしまえばその通りなのだが、それ以上に部屋の隅に置かれたソファーの上で一日過ごしてしまいたいという怠けが現れていた。
「ま、非番だからいいけど」
 板山はリモコンやタバコをソファーの前にあるガラステーブルの上にあちこちに取りに行かないでいいように置き、そのだらしない格好のままソファーに寝転んだ。
 何もする気がない。というか気が起きない。板山は美人アナウンサーのチャンネルからバラエティー番組に切り替えると、大きく欠伸をしタバコを一つ手に取った。
 深く肺に煙を入れる。気持ちのいい瞬間。前はたばこなんて嫌だと思っていたのになんて、ふと板山は昔の自分を思い出してみる。

 意外に真面目だった高校時代。そういえば、自分もあの制服着てたよなぁ…秋地町高校の制服。今は大概こんな身なりだがきちっと着こなして。誰だったかいやにフィーリングが合う奴が二人くらい居たんだっけ。
 そうそう、関西弁のやつと九州系のやつ。比較的標準語を喋る俺からしてみれば関西も九州も同じ方言に聞こえてたけど。あのときは楽しかったなぁ。二人はその当時の俺とは真逆で、タバコも吸うし悪いことはするしで、しょっちゅう先公に呼び出されてたっけ。
 楽しかったよなぁ。ただ、名前は思い出せねぇんだけど。なんていったっけなぁ。アルバム見れば思い出すんだろうけど。取りに行くの面倒臭いし。あ、でも…三人の夢は思い出せる。俺が警察官で。
「俺はカフェのマスターするんよ。髭つけて、いかにもダンディーな感じの」
「俺は怪盗をする。立派な人を助けるような怪盗に」
「はぁ?それじゃあ俺が捕まえてやるよ。そんな変な怪盗なんてさ」
「無理やろ。聡、運動神経悪いやん」
「失礼なやつ!そんなの鍛えればどうにでもなるだろ」
「えぇ〜ありえへん」
 ありえなくねぇよ。今ちゃんと鍛えて足も速くなったし、腕力だってついた。まぁ、見た目にはあんまり変わってねぇけど。
 あぁ、畜生。名前思い出せねぇなぁ。なんだっけ。あだ名思い出したら行けそうなんだけど…。
「とら〜。おい、とら〜」
「なんやねん、その呼び方」
「え?だって、お前の下の名前『とらあき』じゃないの?」
「アホ!誰がとらあきやっちゅうねん。俺はひろあき!」
「えぇ〜。つまらんやん!お前がとらやったら、俺竜やし。十二支できると思ったんよ?」
「ちょお待ち。せやったら聡はどないなんねん」
「え、猫。十二支のに入ってないから」
「どういう理屈や!」
 あ…思い出した。一人が竜で一人が廣彰。そうそう、二人で漫才すればいいのにって思ったくらいの名コンビ。あいつら、まじで夢叶えたのかなぁ。特に廣彰。怪盗になるって、言ってたけど。まぁ「…怪盗なんて、警察に追い回される犯罪者でしかねぇのに」と、思ってた自分も今は変わってる。あいつに出会ってから。
 はぁ、非番じゃなくてあいつに会いてぇ。

「すいません。郵便なんですけど!」
 なんて物思いにふけっていると、急に外からの声が聞こえ板山は慌てて体を起こした。
「あ、すぐ行きます!」
 机の上から転げ落ちていた印鑑を手に取り、乱れきったワイシャツとネクタイを身につけたまま玄関を開ける板山。すると、そこにたっていたのは女性で深くかぶられた帽子の下から服装を見られ、女性は慌てふためいて郵便物を板山に押し付けた。
「し、失礼しました!」
 走って逃げて行く女性に、板山はしばらく玄関に突っ立って考えた。何故逃げたんだ?と。しかし、階段から上がってきた隣の部屋のおばちゃんに目撃され、にやついた笑みで「朝から元気ねぇ」と言われ『あぁ、それと間違えられたんだ』と変に納得できてしまった。
「昨日脱ぐのが面倒だっただけなのにな」
 板山は、また溜め息をついて荷物を確認するためドアを閉める。リビングに入って荷物を小物を避けたガラステーブルの上に置くと、頑丈に貼られたガムテープを剥がしていった。中に入っていたのは、意外にも一通の手紙。板山は綺麗な封筒から折り畳まれた便箋を取り出すと、一字一句逃さず丁寧に読み始めた。
『板山さんへ。
 お手紙、という形では二回目ですかね。なんかすんごく恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 えっと、今回お手紙を出したのは他でもありません。予告をするためです。
 時は、今月の新月の日。場所は廃倉庫の十一番倉庫。そこに隠された絵画「月夜の女神」をいただきに参上いたします。
 でも、それだけ書くならいつものカードに書けよって話ですよね。まぁ、そうなんですけど。どうしても今回、手紙という形で板山さんに伝えたいことがあったので、できれば最後まで読んでください。
 私は、十歳の頃からこの世界に入り、いなくなったパパとママを探していました。パパもママも怪盗だったからです。
 でも最近、二人は殺されてしまったことを知りました。正確に言うと、目の前で殺されてしまったという事実を私が忘れていただけなんですけど。
 殺した犯人は、自分の知っている人でした。しかも、今度は私を殺すと言いました。
 あ、でもすぐにというわけじゃないんです。私が怪盗として邪魔になったら、と彼は言っていました。
 だから私は、彼と取引をしました。少しでも足掻くために。この世界で頑張っていたパパとママに申し訳なくないように。
 それが、今度の月夜の女神の奪取です。本当は板山さんがいない方が仕事が断然進むのは分かっているんですけど、やっぱり伝えたくて。なんていうか。それが、決まりっていうか。伝えなきゃって思って。
 板山さん、伝えるからにはお願いがあります。
 私のする仕事、見届けてください。いつものように、私を捕まえようと必死になってください。
 私のこと、好きだって思っていてください。
 そしたら、私あなたに捕まらないように必死に逃げるから。取引に勝てるから。
 
 そろそろ便箋が終わりそうなので書くの止めにします。
 では、満月の夜。貴方に出会えることを楽しみにしています。

 月夜の怪盗より』
 最後の方にはうっすらと何かで濡れたような跡があった。そして、板山は何かを感じた。これが、この手紙が最後の彼女からのメッセージじゃないのかと。
 板山は先ほどとはうってかわって、だらしなくしていた服をきちんとしたものに着替え直すと、インターネットを駆使して次の新月の日を調べた。
「次の新月は二十日」
 それが、彼女の最後の決戦なのか。板山は画面から目を逸らし、ぐっと拳を握った。

 見届けてやろう。彼女が誇りに思ってしている仕事を。最後まで好きでいてやろうではないか。

×××

 この日が来るまで一体どれだけ準備をしただろうか。何度も何度も下調べし、綿密に立てた考えをシュミレーションして。
 そして、ラコンドに裏地最強のメンバーが集まった。
「これ、ちょっと前に未結とられちゃったやろ?やけん、また注文してやったよ」
「ベレッタ…。ありがとう、内山さん」
「外に車準備したよ。いつでも行ける」
「…的場兄ちゃん。ごめんね、送ってもらっちゃって」
 未結のために動く二人。笑顔で優しくて、つい未結の目元にうっすらと涙が浮かぶ。内山は「泣くことはないんよ」と顔を下に向けている未結を抱きとめ、温かい大きな手で撫でた。隣にいた的場も「運ぶのが俺の仕事だから気にすることないよ」そう言い、ゆっくりと内山の手がどいた頭を二度叩いた。未結はこくりと頷き、顔を上げる。もう大丈夫だから、少し乱暴に目元を右手で擦りベレッタを仕舞う。
「えぇね。今回の仕事場所は前行ったことある廃倉庫やけど、十一番倉庫は違う。未結より格段に強い人達がうようよしてる所やんね。やけん、気を抜いたらいかん。しっかり神経を研ぎすませることが大事。いい?」
「分かった」
「盗み終わっても気を抜いたらいかんよ。車に乗ってここに帰ってくるまでが仕事やけんね」
「内山さん。それ『家に帰るまでが遠足ですからね』って感じに聞こえる」
 真剣に言う内山、それを軽く茶化す的場。二人とも真剣だけど未結をなるべくプレッシャーから守ろうとしている。未結はその温かい思いをたくさん受け取り、最後の命綱となるワイヤーがきちんと出るかを確認した。
「よし…」
 完璧。準備は整った。未結は二人にそう言うと、三人で顔を見合わせてもう一度この笑顔で会おう。そう誓った。
「んじゃ、内山さん。いってくるね」
 車に乗り、窓から身を乗り出す未結。内山は「はよきちんと座り」と言うが、未結は一向にそうしようとはしない。的場が「行くよ」とエンジンをかけ、いい加減未結に中に入れと内山が言おうとしたら、初めて未結から頬へキスをもらった。
「私のとても大好きなパパ。いってきます」
 進み出す車。一人ラコンドの前で佇んだ内山は恥ずかしいあまり下を向き、ろくに手も振らず未結達を送った。
 見えなくなり、本当にただ一人になる。内山は思い立ったように両の手を胸の前で握り、ぐっと胸へ押し付けて祈る。
「どうか未結を、俺のかわいい娘を神様の加護でお守りください」
 キリシタンじゃないけど、祈るしか内山には残されていなかった。

 未結達がラコンドを後にした同時刻。戻れるかどうか分からない自分の家の鍵をかけて歩き出した板山。行く先は決まっている。未結と同じ廃倉庫の十一番倉庫。未結からの手紙を読み、その後すぐに堤田に辞表を提出した。が、堤田はそれを受け取りはしたが目の前でまっぷたつに破った。彼に言わせれば「こんなことしたら、俺の周りの世話は誰がするんだよ」らしい。全く堤田らしい言い分だ。
 けれど、堤田に「俺は死ぬかも知れない」と伝えた時、彼は既に何もかもを知っていたような表情をしていた。なんと言うか、これから先彼には何が起こるのか分かっているかのような感じに。
「板山」
「はい。何ですか」
「お前さ、警察には向かないな」
「は?」
「だって、あいつが好きなんだろ」
「誰ですか」
「月夜の怪盗」

―そりゃないだろ。警察のくせに、犯罪者好きになるって。全く、お前が飛ばされたのも無理ないよ。でも…。

「お前は面白いやつだったよ。…自分の考えた通りに進め。いいな、板山」
 堤田はそう言って、最後にコーヒーを板山に要求した。板山は無言のまま律儀に準備し、堤田の机に置いて部屋を出て行った。
 その沈黙が、頑張れと言っている気がしてドアを閉めた板山は不覚にも涙を流した。それが約十日くらい前のこと。
 車に乗り、最後の確認として愛銃と手紙を自分の膝の上に置く板山。銃は月のない空の下で電灯に照らされて鈍く光り、手紙は何度も読み返されてくしゃくしゃになっていた。板山はもう一度、手紙に目を通すと車のキーを入れて自分の家も振り返らず、廃倉庫に向かって走らせた。

×××

 都会の外れにある廃倉庫地。そこにはたくさんの犯罪者予備軍と呼ばれるような人達が集まっている、それは昔から変わっていない。板山は、愛銃を右手に少し遠目で車から降りると、ゆっくり歩を進めていった。
 一歩また一歩、着実に進める足。あちこちにくたばっているヤクでラリった男女を乗り越え、八番倉庫までやってきた板山は二桁の倉庫に入る前に物陰に隠れて大きく深呼吸した。
 ここの倉庫には板山が小さい頃から噂があった。一桁の倉庫は薬物乱用者や秋地町を拠点にしたやくざ達が溜まっていると。そしてその倉庫の住人は何度も警察が入って変わっているらしいと聞いた。けれど、二桁の倉庫。特に十一番倉庫は警察からの干渉を受けることがなく、秋地町の裏世界を守る裏地をも脅かす存在がそこにいる。そう伝えられてきた。だから、どんな理由があろうとも十一番倉庫には入ってはいけないと、言われ続けてきた。そうなると、やはり板山という大の大人でさえ足は竦んでしまう。
「落ち着け…」
 この恐ろしさをあの小さな彼女だって感じているはずだ。板山はそう自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせると思い切って二桁最初の十番倉庫の地域に足を踏み入れた。

「未結ちゃん。ここまでが俺の送れる範囲だよ。ここからは屋根の上に上がった方が安全だと思う」
「うん」
 十番倉庫に一番近い地域に降ろしてもらった未結。口元の布をつけて、気合いを入れると的場に向かって離れた方がいいよ。そう告げた。
「ここまで、連れてきてくれてありがとう。的場兄ちゃん」
 未結の笑顔に、的場はやっぱり一緒にここから離れようと言いたくなったが、これは未結の仕事でありプライドを傷つけてしまう。だから必死の思いその言葉を飲み込み、的場は旋回すると、車を走らせて暗闇の中に消えていった。
 さて。十一番倉庫の見える場所に立った未結は、胸の前で腕組みをしながら頭の中で組み立てられた策を捻り出しながら、まずは屋根の上へ上がった。
 こないだ一桁の倉庫へやってきたときは、飛び移る瞬間を狙われて撃たれた。今度はそんなへまをしないようにと、未結はぎりぎりまで倉庫の端までやってくると、ワイヤーをのばして地上にあった灯油入れを倒した。当然、十一番倉庫の周りにいた人達は音のした方へ走り出す。未結はその隙をついて十一番倉庫の屋根へと移っていった。
 その近くに板山がいることに気付かずに…。
 板山は地上で、未結は屋根の上で中の様子を見ようと窓へ顔を近づけた。しかし、やはり新月は相手にも厳しいが自分達にも厳しい条件で中の様子がよく見えず、未結の中の策は練り直しにかかった。
 その間、板山が目を凝らして中を覗いていると、背後に先ほど未結が飛び移るために倒した灯油入れの元から帰ってきた男が板山の姿を確認した。男は、近くに転がっていたビール瓶を気付かれずに持ち上げると、大降りかぶって板山の右肩に向かって振り下ろした。板山は強い痛みに捕われながら、ぐったりとその場に倒れ気を失ってしまった。
 どさりと人が倒れるような音。未結は一瞬音の主は誰だとあちらこちらを見て確かめたが、既にその痕跡はなく。気のせいかと勘違いした未結は自分のことに神経を集中させ、もう一度窓から中の様子を確かめた。

 ぐらりと揺れる体にバランスを奪われながら、目を開けるとそこには捕われの俺と、複数のパイプ男達が立って俺を見つめていた。

「お目覚めのようだぜ」
 嫌な笑い声が聞こえ、板山は目を開ける。視界ははっきりせず、さっき殴られた右肩の痛みに目ははっきりと開けることはできなかったが、パイプを持った男達の中に一人。制服姿の男を見つけて、板山は呟いた。
「お前…秋地町高校の生徒か…?」
 すると周りの男達は何がおかしいのか、にたにた笑いながら板山の真似を次々にしていった。一人は苦しそうに、一人は足掻くように、一人はあざ笑うように。その中で制服姿の男は周りの男達を沈め板山に近づいていくと、しらばっくれることもなく肯定を示した。
「えぇ、俺は秋地町高校の生徒ですよ。それが何か?」
「…こんなところで…何してる。ここは、ガキが来るような…所じゃないはずだ」
 板山が途切れ途切れに制服姿の男に伝えると、先ほどの板山の真似をしていた一人が板山を指差して盛大に笑った。
「皆聞いたか!『こんなところで何してる?』だってよ。こいつ、ここのこと何にも知らねぇって自白してるようなもんだぜ」
 一人が笑えば全員が声を揃えて笑う。板山は次第に苛立ってきてにらみを利かせてやろうとしたが、右肩が痛くて上手くいかない。殴ってやろうともしたが、地べたで縄に縛られていれば何もできない。板山はどうにもならない苛立ちに舌打ちをしようとした。が、それと同時に制服姿の男がぼそりと呟き、今まで耳障りだった気色の悪い笑い声がぴたりと止んだ。
「静かにしてくれ、耳障りだよ」
 何なんだこいつは…。板山は笑っていた男より小柄な制服姿の男をまじまじと見て、訳が分からず痛みに耐えていた。と、そこに先ほどの男が制服姿の男の前に出てきて深々と「…すんません組長」そう言い、恐縮気味に下がった。
 なるほど。板山は心の内で言った。こいつが十一番倉庫の長なのか。しかし、数が合わない。十一番倉庫が恐れられていたのは板山達の親の代からで、どうみても板山の目の前にいる男は、頑張っても高校三年生の坊やだ。いくら留年や浪人して入ったからといって自分より上とは思えなかった。そう懐疑的な見方をしていると、制服姿の男がゆっくりと自分の元へ歩み寄り、目の前で片膝をつくと口角を上げて笑った。
「おじさん。俺は貴方が考えてる十一番倉庫の長ではあるけど、二代目なんだ。だから、数が合わないのは詮無いこと。別に気にする必要はないと思うよ」
「二代目…」
 それなら納得がいく。板山は制服姿の男と視線を合わせるように努力すると、そうか…。彼に聞こえるように答えた。制服姿の男も板山の言葉が聞こえたようで「分かってくれてどうもありがとう」微笑んだ後会釈する。しかし、顔を上げた男は先ほどまでの笑みは消えており、その代わりにべもなく「それより、貴方は一体何故ここに来たんですか?警官の板山さん」の言葉と共に警察と分かる証を突きつけられ、板山は背筋が凍る気がした。
「話さないって言うなら、こっちにも手はあるんだよ。ほら、こうやって指を鳴らせば」
 振り上げたパイプが貴方の全身を砕きにいくから。
 制服姿の男がそう言った瞬間、天窓のガラスが雪のように降り、その中に黒い影が入りこんだ。
「…ゅ…」
 上から見ていた未結が、耐えることに堪えきれず倉庫内へ乱入する。パイプを持っていた男達も制服姿の男自身も刹那何が起こったか分からず、ただ音のなる方へ物体の分からないものを襲いにいく。しかし、助けに来た未結がただで倒されるわけがない。暗闇慣れした未結は次々にパイプという凶器を持った男達を倒していく。
「誰にも傷つけさせない。私は誰にも傷つけられないわよ!」
 未結が叫び男達は怯み男女の差というものはほとんど消え、残るのは勝ちたいという思いと、守りたいという思いの強さだけだった。けれど、その争いの中で一人。すっと右手を上げ、撃鉄を起こし板山の痛む右肩に向けて発砲する男。
「…っあぁ!」
「板山さん!」
 気を取られた一瞬、板山の右肩から鮮血が迸り未結は背後を取られ、その場にがくりと倒れた。
 薄れる記憶の中、板山を呼びながら。


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