Act.06 あこがれ。

 あれから二週間以上の月日が経った。暦はすでに十一月を迎え、数日前の日中の暑さはどこへやら…あちこちで落ち葉が寒さを強調させていた。けれどもそうやって周りは日々変化しているというのに裕太は未だ入院したままで、学校に姿を現すことはなかった。
 テレビは最近空気が乾燥したことによって火事になりやすいと注意が促されている。内山達はそれを見つつ、時折裕太の家の事を思い出しながら一方は皿を拭き一方は新しく現れた怪盗の正体に頭を悩ませていた。
「未結、カフェオレできたよ」
「ありがと」
 あまりに悩みすぎる未結に内山がカフェオレを。糖分は頭を活発に働かせるけんね。と渡せば「あったかい」言葉を零す。
「…どんな怪盗やったと?」
 未結が一口飲むと同時に内山はふと問いかける。カップを置いた未結は隣の椅子においてあったかばんの中から紙とペンを取り出すとさらさらイメージを書き出した。
「黒タキシード着ててパパと同じ香水の人。ねぇ、パパってさ、もしかしなくても怪盗だったりするの?」
「え?なんでそんな事思うと?」
「なんとなく。それだったら内山さんの所との繋がりも辻褄合うし、長期の仕事っていう可能性を提示したとしたらパパが行く時にママも一緒について行ったみたいな」
 たっぷり時間をおいた後、二人は盛大に笑った。カフェオレのカップが揺れ、皿は危うく床と仲良く衝突を迎えそうになる。慌てて笑うのをやめ皿を掴んだ内山がもう一度拭いて棚に仕舞い言った。
「んなわけないやろぉ。未結の父親とはただの常連さんとマスターの関係で」
「そんな関係なら私は内山さんに引き取られたりしない」
「んじゃそれ以上の関係で…」
「内山さん!」
 しらばっくれる内山に強く未結は言った。内山は墓穴を掘ったような面持ちで未結を見る。さらに間を取った後、満面の笑みで未結が彼を捕らえると重々しく口を開いた。
「私のパパは怪盗でしたね?」
「…うん」
「ママはただの付き添い?」
「…う、うん?」
「ママも怪盗なの?どうなの!」
「…は、はい!」
 いつもと逆転した会話に誰かが目撃していたとしたらおかしくて笑っていただろう。未結は欲しい情報を引き出して満足すると、意気揚々として意見箱から見える紙を取り出して二階へ上がって行った。
 残された内山は、秘密が漏れてしまったことなどに対していろいろな意味を込めて溜め息を吐いた。未結の父親が怪盗だったという秘密は、いずれ分かる事実だったから今ばれようがどうしようがいいのだが、もう一つの秘密は…。
「まだ隠しとかんと…まだ…」
 彼女は未熟でこの事実を受け入れるには辛すぎる。

 部屋に入った未結は携帯と鞄をベッドに置いて制服を脱ぎだす。といっても下着になるわけではなく、着替えだということは分かると思うが。バタバタといつもの服からひとまず部屋着に着替え終えると、シンプルに整えられた机の上にいつもの予告状の紙とペンを置き自分も椅子に座る。実際予告状を送るのは半月ぶりくらいになる。最近学校にちょくちょく顔を見せていたのは知っていたが、追いかけっこすることはなかったし、自分としてもそれどころじゃなかった。
 未結はわくわくしていた。それが、パパ達に自分が近づいたことでなのか、久々の追いかけっこのことでなのか、未結自身にも分からなかったが、胸のドキドキは収まるどころか増している。未結はいつものごとく書き終え、仕上げにハートマークのシールで封をし、夜深まる秋地町へ出て行った。
 外は肌寒く、部屋着の未結はさすがに身震い。寒さしのぎに近くのコンビニ(といっても裏地にはコンビニが一件しかなかったりするのだが)まで走り、予告状を投函する。軽い落下音がして手紙がポストに吸い込まれるのを知ると、また夜の闇へ消えていった。

×××

 翌日、シャワーのノズルから滴る雫達を受け止め、清々しい朝を迎えた午前七時。家主の男は一本の電話に出た。
「はい、もしもし」
 綺麗なイントネーションで男が言うと、電話の相手から「俺だ」と告げられる。男は冗談で「オレオレ詐欺ですか?」と言いたくなったが、相手が自分よりも上の立場の人間だったのでそれはやめ、いつ盗聴されてもいいように適当なことを言う。「新聞の勧誘はお断りしてるんですけど」相手は初め怪訝そうな色で疑問を浮かべていたが、男がきちんと会話を理解していることが分かると、「仕事の日取りが決まった」男に告げる。
「十一月二十三日だ」
 男は無造作にテーブルに置かれた手帳を手に取り、十一月二十三日の予定を確認する。すると、見事に夜の時間帯は空いていて。男は「はい。大丈夫です」対応し、次に告げられる内容をメモ用紙に記入し、通話を終了した。
 時刻七時十五分。男はお気に入りのスーツを着込み準備完了の上、ドアノブを捻った。

 授業が始まる五分前。何気なく一限目の体育の準備をしていると、窓際にいた女子生徒の一人が声を上げた。何だ何だと生徒が一斉に窓へへばりつくと外に一台の覆面パトカーが停まっており、中からは堤田と板山がこちらの校舎を見つめている。遅れて覗いた未結は板山を見つけるなり指差して叫びそうになったが、口を噤んで一人教室を出ていった。
「なんでここにいるのよ…」

 外にいた板山は、まるで芸能人になったかのような錯覚に陥るかと思うくらい窓から見つめている生徒達を見た。あっちを見てもこっちを見ても、人・人・人の人だかり。野次馬精神ってやつなんだろうなぁと板山は一人ゴチて頭をかいた。
「女子高生っていいよなぁ」
 板山が溜め息をついてポケットからタバコを取り出すと、横からセクハラ的発言を言いながら降りて来た堤田が中から一本取っていく。あっと言った時には既に遅く、銜えたまま火を求めてくる堤田。『気持ち悪っ』とは口がさけても言えないが、唇を突き出す堤田のタバコに火をつけてやる。堤田は一息吸い込んだ紫煙を吐くと、出てくる体操服姿の女子高生に軽く釘付けになった。呆れ顔の板山は自分もたばこをふかしながら何気なくそちらを見る。すると、その先に未結を見つけ板山は思わずフェンスに強く手をかけた。意外に大きく鳴った金物の音に生徒達は振り向き、音の主を探す。が、未結だけは頑に背を向けている。不審に思った板山の視線が突き刺さって苦しい。しかし、運良く先生の号令がかかり、未結は自然に列の中に混じっていった。
 感覚的に一人残された板山は紫煙を吐いて車に寄りかかった。別に見つめていたのは彼女の着ている体操服に惹かれたわけではない。前からずっと誰かに似ていると板山の頭の隅でひっかかっていたからだ。
「月夜の…怪盗」
 ふと颯爽と逃げて行く怪盗の姿が目に浮かんだが、すぐに消した。いくら背格好が似ていても高校生のすることではない。ある時はセレブの家に忍び込み、ある時は銃を持ってる相手と…どちらかというと、そんなことをしてほしくはないタイプだと板山は思った。
 板山から見る未結のイメージは活発で、でもどこか今時の高校生より少し先の考えを持っているようなそんな感じ。前にサッカーボールをフェンスの近くまで取りに来た時、透き通った瞳に見つめられ板山は背筋がぞくりとしたのを覚えてる。向こうは何かに怯えているような表情だったが、こっちはその瞳に心臓を鷲掴みされたような感覚に陥ってそれどころじゃなかった。
 ふと意識を現実に戻すと未結達のクラスは走り高跳びをしていて、次々に引っかかっていく女子高生に少し笑いがこみ上げる。だが、未結の番になった時それは止んだ。
 ふわりと上がる未結の体。綺麗な三日月の形を象るように体をしならせ軽々とバーを超える。厚めのマットに降り立った未結が深く深呼吸すると同時に板山も息を飲んでしまった。
「やっぱり…」
 月夜の怪盗に似ている。板山はそう思った。と、そのときパトカーの無線からけたたましい上司の声が聞こえ、嫌々板山は無線を手に取った。
「はい、板山ですけど…」
「お前らどこほっつき歩いてんだ!板山宛に手紙が来てるぞ!」
「手紙?誰から?」
「知るか!送り主の名前がなくて、封はハートのシールだ。私情を持ち込まないでくれ!とりあえず、早急に戻ってくること。いいな!」
 言いたい放題言われ一方的に切られると、板山は車体に項垂れて溜め息を吐いた。だいたい手紙もそうだ。自分には全く悪気がなく一方的に送られて来たものであるにも関わらず、上司に怒られてしまう。全く理不尽にもほどがあるというものだ。板山はまだ未結が気になって仕方のない所だったがすぐさま車内へ滑り込むとエンジンをかけ始める。
「堤田さん。俺、呼ばれたんで帰りますね」
 車に乗らないと上司の苛立ちを増幅させかねなかったので、堤田に車に乗るように願う。しかし堤田は、まだ女子高生を見ていたいらしく、しばらくそこに留まっていようとしたが板山一人で車を発車させ始めるとここから警察署までの距離を即座に計算したようで、渋々車に乗り込み発車するよう言った。
 署内に着くと見事に板山への視線はよろしくないものばかりだった。
 無線で連絡してきた上司はもちろん、あちこちからの視線が痛い。努めて板山は気にしない振りをして上司から手紙を受け取ると、自分の席へ戻って中身を確かめる。中身は例のアレだった。
『板山さん。お久しぶり、月夜の怪盗です。今回は秋地町総合病院の院長に無理矢理買い取られたヴィーナスのかけらをいただきに参ります。日時は十一月二十三日。二つのおひげが重なる宵の時。それでは、月夜の怪盗でした。あ、追伸。堤田さんの目凄く危険な目をしてるからやめさせたがいいと思いますよ?』
 板山は見るなり封筒に押し込み、机に突っ伏した。
『知ってた…一体どこで見てたんだ。いや、いたんだあの場所に。でも、どれだ…。まさか…』

×××

「というわけで、こちらでそのヴィーナスのかけらの管理をさせていただきたいのですが」
 出向いた先の秋地町総合病院の院長室。夫人と共にソファーに座っていた藤川院長はインテリ風の黒ぶち眼鏡を中指で上げながら怪訝そうな表情で堤田と板山を交互に見た。
「申し訳ありませんが、お引き取り願えませんでしょうか?」
「はい?」
「僕の病院は今までそのような犯罪の類いに巻き込まれたことはない、とても患者にも信頼を置いて頂いている病院なのです。なのに、貴方達が来たことにより、患者の方々に少なからず不安を抱いてしまっている。困るんです。第一、その予告状もどこかの中高生がいたずらで書いたようなものにみえるじゃありませんか。そんなものに振り回されている警察の方々が、酷く滑稽に見えますね」
「……」
「とにかく、今回の件はお引き取りください。もしその話が本当だったとしても、ここは患者を守るために万全のセキュリティーを準備しておりますのでわざわざ来て頂かなくても結構です」
 院長は分からないように鼻で笑うと、院長夫人に二人を追い出すように指示し、二人は病院の外まで摘み出されてしまった。
 これでは手の出しようがない。板山は入り口から建物を眺めながら何度目かの溜め息を吐いた。しかしどうすれば…。あの月夜の怪盗は取ると言ったら取る。いくら警備が厳重だからって盗めてしまうのが怪盗だ。
「どうすればいいんだ…」

 十一月二十三日午後十一時半過ぎ、時間はばっちり。未結はさすがに服装に寒さを覚えながらストールを羽織ってその場を凌ぐ。秋から冬に移行し始めた状態に怪盗の服は寒いに決まっている。が、これ以上いろいろ着込んでしまうと動きづらくなるのは必至。引き締めるために冷たくなった手で頬を二度叩くと、未結はいつものように院長宅に忍び込んだ。

 暗い院長の家。人の気配は全くなく、忙しくて片付けられない雑然とした部屋を見て未結は軽く片付けたい衝動に駆られた。
「こっから探すのはすごく勇気がいるんだけど…」
 偉い人の家とは思えない汚さに、未結は思わず身震いする。やっぱり大掃除!と頭を掠めたがさすがにそうもいかない。その中で一つだけいやに床が綺麗になった本棚を見つけ、未結がそこに近づくと手前に本棚が動き、綺麗になっている床の上をすべって地下の道が開かれた。
「あぁ、だからここだけ綺麗なのね…」

 地下へと続く階段が見え、未結は一歩踏み出す。途中罠かと思ったが、百聞は一見にしかず。案の定一番下までたどり着き重々しい鉄の扉が未結を迎えた。
「やっぱりここかぁ。分かりやすい…」
 入り口の本棚といい、分かりやすい鉄の扉といい、セキュリティ云々以前に少しは分かりにくくすれば良いのに。未結は念のためしっかりと赤外線ゴーグルをつけて扉に手をかけると、力強くそれを押した。
 ものの見事にびっしりと張り巡らされた赤外線センサーに呆れて未結は何も言えずに立ち尽くす。ここまでくると自分もなめられたものだと思う。こんな仕事はさっさと済ませてしまおう。そう心に決めて未結が一歩踏み出すと背後に気配を感じて振り向く。一瞬の隙をつかれ黒い布が未結を覆い、視界を奪う。途中ゴーグルが取れたが落下音が聞こえない。ということは後ろから来た何者かにとられたのだろう。やっとの思いで布を取り去り、相手が何者かであるかを確かめようと室内を見渡す。するとそこにいたのは前回の仕事の時、未結を助けたあの怪盗だった。
「…嘘」
 前は助けてくれて、パパかとも思っていたのに、今は未結を押し退けゴーグルを広い、挙げ句には今にも宝石を手にしようとしている。がたがたと崩れて行く未結の心。それと裏腹にどうしようもない怒りが込み上げてきた。
 未結は視界が潤むのも気にせず、さっき一瞬見て覚えただけのセンサーの位置を思い出しながら相手の懐へ入って行くと迫力はないが胸倉を掴み強く言った。
「…パパじゃないんでしょ…。誰なの?この姿で盗みを働く貴方は誰!」
 しかし、相手はただ沈黙を守り胸倉を掴んでいる右手首をさらに強い力で掴んで引きはがすと、未結を壁めがけて投げ飛ばした。
 呻く未結の声と間髪入れず聞こえる警報。背中を打って息をするのを忘れた未結であったが、このままでは失敗してしまう。ヴィーナスのかけらを取り返したいのと、相手の正体を掴みたい一心で立ち上がり鉄の扉を超えると、苦しむ体にむち打って相手を追いかけた。
「待って!」
 町を駆け抜ける中、未結は必至に目を凝らして相手を追いかけた。性別も高さも違う二人では明らかに差が開くのは当然のことだったが、このまま見失ってしまうのもいやだった。息苦しいのを我慢して、止めたい足にも叱咤して相手を追いかけた数分、二人が着いたのは秋地町総合病院だった。
「え…」
 思わず出てしまう驚きの声。確かに家に院長が居なければ、ここの仮眠室にでもいるだろう。けれど、もうヴィーナスのかけらは彼が盗んでしまっている。なのに何故今更…。
 と、その時不意にナースステーションからナースが数名出てきて、未結は慌てて近くの柱に隠れた。このままでは彼も見失って自分も見つかってしまう。どうにかしてここから抜け出そうとあちこち見て何かないかを探す。すると、階段下にリネン室をが一つ。未結は何を思ったのかこっそりそこへ入り込むと中身をあさり始めた。
 その頃、院長室には数日前院長直々に追い返された二人組が居た。
「ちょっと隠れる場所がないからって二人で机の下ってのには無理がないですか?」
「じゃあ板山が別の所行け」
「何言ってるんですか!最初に俺が見つけたんですよ?堤田さんこそあっちに行って下さい」
「待って!」
 板山と堤田が机の下で口喧嘩をしていると唐突に扉が開き二人は互いの口を塞ぐ。
 中へ入ってきたのは二人が見も知らぬ男と月夜の怪盗…未結だった。先ほどリネン室に入っていたはずの未結だが、不運なことに片付けに来たナースと出くわして一発お見舞いしてしまい、結局当初考えていたナースに変装する計画は断念したのだ。
「追いつくの遅かったね」
「貴方の長い足のおかげでね」
 対峙した二人は悪態に悪態を重ね、じりじりと円を描く。それを見ていた警官二人は捕まえるべきかそうじゃないべきかで口論になっていた。
「おい、板山捕まえるなら今だろ」
「待ってくださいって。もっと相手の情報を集めた方が」
「いや今だ」
 小声で口論する二人だが、その間にも怪盗二人の方も詰め寄っていく。
「そのヴィーナスのかけらは、もともと秋地町総合美術館の館長さんのものなの。それを高慢ちきのインテリ眼鏡のおっさんが無理矢理金積んで取り上げたのよ!それは館長さんの家に代々伝わる家宝で、奪っちゃいけないものなの。だから返して!」
 未結はそう言い、一気にその間を縮めヴィーナスのかけらに手を伸ばす。しかし、その手は宙を舞い手首を掴まれ引き倒される。
「こんながらくたが本当にその家の家宝に見える?」
 その言葉に未結はその場から動けなくなった。相手の手から転げ落ちるヴィーナスのかけら。あっというには遅く、床に叩き付けられると同時にそれは粉々に砕け散った。
「あ…ぁ…」
「こんな簡単に砕け散るのが本当に家宝?こんな不純物だらけのガラス細工がそうならその家の目は狂ってる」
「なんてことすんの!」
「まだ分かんない?君はだまされているということに」
「え…」
 そこで未結は感じた。目の前で砕けたのは偽物で、自分はそれを見抜けずにいたということを。
「これが…偽物…」
 とその時、開いていたドアが自動で閉まり、部屋全体が赤いランプで染められた。これには机の下に隠れていた警官二人も慌てて外へ出てきてしまう。
「板山さん…!」
「こんな時に警察が…」
 怪盗の二人はばったりと対面した警官二人に驚きを隠せず、とりあえず自分の顔が見えないようにと影へ入る。板山はなんとかして未結の顔を見ようと追ったが、それ以上に堤田が二人とも捕まえてしまおうと興奮していて。板山はそれを止めるのに精一杯だった。
「いや全く、よくもまぁ上手いこと捕まってくれますね」
 ふとどこからともなく声が聞こえ、未結は顔を上げる。暗い中目をこらして部屋中を調べると、ドアを背にして左側角の所。そこにスピーカーとカメラがあった。
 未結はすぐさまカメラを壊してしまおうと落ちているものを探したが、もう一人の怪盗に止められてしまった。どうやら今止めたら大勢の人が捕まえにくるのかもしれないと思っているらしい。未結としても、ここから逃げ出したとして本物を探しに行くのにそれではやりづらいことこの上ない。未結はカメラを壊すのを止め、立ち上がるとスピーカーに向かって呼びかけた。
「貴方、もしかしなくても院長でしょ?しかも悪質な」
「悪質とは失礼な。私は至って普通の総合病院の院長ですよ。…そんなことより、貴方は自分の置かれている状況を考えた方がいい。そちらの警察のお二人も。私はちゃんと申しましたよね?お引き取りくださいと。なのにこれではあなた方を不法侵入として訴えなければなりません」
 藤川院長は未結の言葉をあざ笑うかのように述べる。かちんとくる言い方に未結は苛立ちを抑えられない。未結はカメラの先の院長にまで届くように睨みつけると話を続けた。
「話にならないわ。あなたの方が人のものを無理矢理奪ったじゃない」
「無理矢理?あなた、それを証明するものはありますか?」
「証明…?そんなの私がいることじゃない」
「そんなの証明にはなりませんね。証明とは紙などを媒体として残しておくことですよ。…そうだ。取引をいたしましょう。私が持っているヴィーナスのかけらを買ったという証明書を奪うことができたらお返ししましょう」
 院長はそういうと何かのボタンを押したらしくドアがゆっくりと開く。未結は二三歩進み、ドアに手をかける。そしてふと振り返り言う。『残りの三人はどうするのか』と。院長はいかにも考えているかのように唸ってみせると、警官の二人に椅子の肘掛けに手を置くように指示する。明らかに危険だとは分かっていたが、意を決して板山が先にいくと堤田も嫌々ながら肘掛けに手を置いた。すると案の定肘掛けから出てきた高速具を取り付けられ、二人は身動きが取れなくなった。
「おい板山!どうすんだよ、これから」
 頑丈にできた拘束具を見つめ、堤田は板山に言う。このままじゃ堤田のしたい“怪盗を捕まえる”ことができなくなってしまうから。しかし板山は何かを悟ったような表情をすると、静かにこう言った。
「俺は彼女を信じます」
 これには堤田も、もちろん言われた未結も驚愕の色を隠せない。堤田なんか未結を何度も犯罪者呼ばわりして板山を正気に戻そうとする。だが、
「それでも!彼女のしていることが正しいことだと信じてみたい」
 真っすぐな瞳でいわれ、未結は息を飲む。彼がどこからここに居て聞いていたのか知らないが、未結のずっと思っていただめ警察官とは違うその雰囲気。自分の思いを汲み取った人を初めて目の当たりにして、未結は何だか見ることができなくて視線をそらし、その部屋を出て行った。続くもう一人の怪盗も二人を一瞥したが、こちらは鼻で笑って姿を消す。
「どっちが悪者に見えますか?」
 二人が消えてむなしく床に座っている板山が堤田に質問する。考えた後、堤田は板山を見て自由の利く右手で板山のポケットからタバコを出すと、『黒い方』と答えて黙った。

×××

 息が切れるまで走った。切れてもまだ走る。あの瞳の奥の思いが焼き付いて離れなくて、なんとしても取り返さなくてはと思った。
 ドアを出てまず他に部屋はないのかと周囲を見る。だが廊下にあるのは下へ続く階段とエレベーター。それ以外は見える範囲にない。ひとまず階段を選んだ未結は一目散に下へ駆け降りた。二階から四階は入院病棟だからあんな風にモニターを取り付けた部屋があっては不自然きわまりない。なので未結は一階に降りきり、再度リネン室に入るとナース服を探した。
 一方もう一人の怪盗は未結と同様一階まで降りると姿が見えるのも構わず、ナースステーションに入り込み、そこにいた全員に催眠ガスをふりまく。ほどなくして倒れたナース達を尻目に室分けがしっかり記入されたインターフォンを手に取った。
「もしもし、もう見つけたんやけど」

 病院のどこかにある本物の院長室にいる藤川院長はインターフォンを乱暴に置くと、引き出しの中から証明書の入った封筒とヴィーナスのかけらが入ったショーケースを抱き込んだ。もうすぐ来る。その恐怖に苛まれ、院長はさらにそれを抱きしめた。
「これは…これは絶対渡さない」
「それは無理だと思うわ」
 とそこに入ってきたのはもう一人の怪盗ではなく未結だった。
「な…なぜだ。さっき電話に出たのは確かに男…」
「えぇそうよ。確かに私じゃない。でも、私は彼に勝ったの」

―リネン室でやっぱりナース服がなくて出てきた時、思わず大声を上げそうだったわ。何にもしてない人を気絶させるなんて。確かに今日は私もしたけど、でも。彼はいつもしてる感じで手慣れてた。許せなかった。対格差はあったけど戦ったわ。おかげで傷だらけ。だけど彼は間違いを犯したわ。私を甘く見すぎたのよ、上手く足を払ってやった。

「女が男より弱いなんて考えないことね。…特に高慢ちきのあんたはね!」
 強烈な右ストレートが入り、院長のインテリ眼鏡が飛んで人も倒れた。それから抱きしめて放さなかった証明書とショーケースのヴィーナスのかけらを取り返すと近くに置いてあったスイッチを押した。
『あ、外れた』どこからか声がする。『板山さん』呟いた声が近くにあったマイクを通して伝わってしまう。
『そこにいるのか?』
 板山の声が聞こえる。けれど反応してはいけない。堤田だってそこにいる。場所を教えてむざむざつかまるわけにはいかない。次第に呼び声が大きくなるが無視して未結はその場を去った。
 何故か胸が痛くてたまらなかった。

 帰る前に、未結は裕太が入院している病室の開いていた窓に腰かけると、目を閉じてすやすや眠っている彼がそこにいた。
 しばらく黙って見つめ、未結は目元が熱くなるのを感じる。助けてあげられなくてごめん。心のうちで謝る未結。あんまり見ているのもつらくなってきて窓から逃げ出そうとすると、背後より聞きなれたはずの、でもどこか気力のない声が飛んできた。
「未結…」
 裕太だ。裕太は起きていたのだ。未結はばれないかと思う反面、もう少し声を聞いていたいと思った。
「未結…俺、眠れへんねん。目ぇ閉じたら赤々とした炎やおかんの叫び声が聞こえんねん。俺…怖ぁてな…。なぁ、お前歌うまかったやろ?歌ってくれへんか?」
「……」
「なぁ、未結…」
「……」
「なんで返事してくれへんの?」
 裕太のか細い声に未結は苦しくて仕方がなかった。返事?返事なんてできるわけないじゃない。この姿ばれたら困るんだから。
「未結…なんやろ?そない誘うような格好しとったら襲ったるよ」
「……」
「えぇの?えぇんやね」
「誘ってなんかない!」
 しまった。未結は口元を押さえて項垂れた。喋っちゃいけないのに喋ってしまった。あぁと悩む未結。だが、それと裏腹に裕太は笑いを堪えられずにいた。
「ほらその困り方。俺、未結以外にそんな困り方する奴知らんもん」
「……」
「しっかし、未結。月夜の怪盗やってんねぇ。俺の憧れのヒロインはいつも隣におったんや」
「裕太…」
「あ、危ないことせんとってな。いなくなるなんてもってのほかや。俺、未結のこと…愛してんねんから」
「ゆう…」
 驚いた。ずっと、いう機会を見計らっていたのか。裕太が今、切なく誰よりも未結をいとおしく思って愛の言葉を紡いだ。未結は声もでなかった。すべてが停止してふらついて窓から落ちてしまいそうになる。けれど、裕太はすぐに目を閉じて未結へ言う。
「もう行き。こない病院で入院しとっても、お前をベッドん中引き込むくらいできるで」
「ゆう…」
「気が変わらんうちに!…行けや」
 最後は涙目になりながら、裕太は未結を突き放す。未結は裕太の奥底の思いを汲み取ってしまうと、ただ一言ごめんと呟き、闇へ消えた。
「それ言うたら俺…振られたも同然やん。…アホ未結」

 切なくて苦しくて…あなたの思い気づいてしまいました。


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