Act.04 ライバル。

 週も明け、暫く仕事がなかった平日。授業が始まるチャイムを聞き、染み付いた始まりの挨拶を無意識にする未結。なんだかこう心ここにあらずといった感じ。隣の席に座っていた裕太が何度目の前で手を振っても、反撃の手は飛んでこなかった。
 裕太はしばらく黙ったまま未結を眺めていると、不意に手を挙げ授業を止める。「何や、梶原」西沢が問いかければ「未結がおかしい」と一言。西沢は未結を数度呼んで気付かない所を見、確かにいつもと違うことを汲み取ると、止めていた残りの英文を全て黒板へ書き出して未結の元へ歩み寄り、目線をあわせる。
「月浦、黒板に出とる英文訳でけるか?」
 未結は西沢の声に一つ頷き起立すると、真っすぐ黒板へ行く。そして黄色いチョークを持って一息つけ、黒板に置くとすらすら解き終え西沢に言った。
「これでいい?」
 西沢は微笑して「えぇよ」そう言い、今度はさっきの間に書いたらしい英文を渡す。
「これ、訳して読んでみ」
 受け取った未結は全く何をさせる気なんだと英文を読んでいたのだが、文の意味を解いていくにつれ、顔が強ばっていく。近くに居た女子生徒が、内容が気になったらしく未結に読むようせがむと、つまりながら読み上げた。
「今晩一緒に食事でもどうですか?」
 すると女子生徒の大半が黄色い声を上げ、未結をうらやましそうな目で見る。だが、未結は一人怒りに震えた様子で西沢を睨むと一発ビンタするがうまいこと止められてしまい、さらに腹立つ未結。
「先生に手ぇ出したらあかんやろ?停学になってまうで?」
 自分が引き起こしたくせに飄々としている西沢は未結の右手を持ったまま引き寄せると、別の生徒にばれないように腹部に拳を入れた。
「俺、こう見えても黒帯やねん。あんま手は出させんとって」
 未結は入れられた拳によってふらつきながら自分の席につくと、それから先の授業に参加することはなかった。

 その日の午後、未結は保険医を抱き込んで嘘の報告書を書いてもらうと、担任の先生に早退願いを出した。担任もそれと未結を交互に見て数度頷くと、「帰っていいぞ」労りの言葉を未結に外へ出るよう促す。未結もそれにのってドアの前で一礼すると、鞄を持って学校を出た。
 まぁもちろんそのまま家に帰る未結ではなく、都会まで出て来ていつものゲーセンに入ると、真っ先にシューティングに向かい銃を手に取る。
 しっくりくる感覚、大画面に映る苛立ちの矛先。準備は整っていた。
 始まった瞬間、目の前が真っ白になった。いや、ゲーム音は聞こえているから高得点は出ているんだろうが、未結の中渦巻く過去が浮き彫りになり、彼女自身をがんじがらめにしていたのだ。
 遠くで聞こえる優しい母の声。今は一体生きているのかいないのか。その真相をつかむために与えてもらった仕事も確信をつくようなネタはなく、平行線のまま。
 どこにいるの?何で私を置いて行ったの?内山さんと母さん達の繋がりは?知りたいことは次から次へとあふれるのに消化してくれる人がいない。
 いっそのこと、全てを忘れてしまえば楽になれるのかな…。
「おらぁ、どきやがれ!」
 未結が物思いにふけっていると、遠くに配置されたUFOキャッチャーから声が聞こえ、周りがざわめきだす。どうやら近くに構えているやくざの組員だろう。たまにあるのだ、この店。未結は気にすることなくもう一度コインを入れ、ゲームを再開した。
 どれくらいたっただろう。やくざの声が聞こえなくなったのはよかったのだが、代わりに背後から妙な視線を感じて、未結は悪寒が走る。相手に気付かれないように振り向けば、そこにいるのは等身大サイズに近いうさぎのぬいぐるみを抱きしめて何かに怯えている柄シャツを着たやくざ。未結はとっさに何かに巻き込まれてしまうと察知し、ゲームの銃を降ろすと踵を返してラコンドへ急ぐ。しかし、後ろから男は案の定着いて来て、最終的にストーカーとみなした未結はラコンドに入るなり、男を引き入れ立ち上がることもできないくらいぼこぼこにした。と、そこへ洗濯物を取り込んで満足した笑みを浮かべた内山が入って来て目の前の状況把握に苦しむ。
「一体、何が起こったん?」

×××

 内山に事の顛末を教えるなり、未結はものすごい勢いで内山に叱られた。
「いくら変な奴やからって誰にでも暴力振るったらいかんよ言うとったやんか。どうすると?この人本当に助けを求めとるかよわぁい人やったらさ。つか、俺は絶対そうやと思うよ。こんなかわいらしいウサギちゃんのぬいぐるみ抱きかかえとるやくざとか見たことないもん。どっちがうさぎかも分かんないもん。ねぇ、未結ちゃん。どうすると?」
まくしたてるように言われ未結は口を噤んだ。確かに後ろからつけられたにしろ彼を一発殴った時に怯えていて、降伏していたのは分かってた。それでも殴るのを止めなかったのは、未結自身がいろいろなことに腹を立てたりしてたから。だから、内山の言う通り未結が悪いことになる。
 未結は奥の部屋から濡れたタオルを持ってきて男の額にのせると、あちこちにできた傷を治療した。

 数時間後、意識を取り戻した男は未結を見るなり、隅の方へ逃げ持ち物のウサギをしかと抱きしめた。言っておくが彼はどこをどうみてもやくざだ。似合わないのにもほどがある。
「大丈夫ですか?」
 とりあえず、話を聞かないことには始まらないので、内山が声をかける。男はよほど怯えきった様子で二人を見つめると、どもり気味に「ここはどこですか?」そう問うた。
「裏地の中心にあるカフェラコンドという場所です」
 男の問いに内山が答えると存在を知らなかったようで曖昧な返事を返すやくざ男。男はあちこちを見回して己でここは安全であることが証明されると、また吃りながら未結に問いかけた。
「あ、あの…そちらのお嬢様にお願いがあるんですけど」
 突然のお願いに未結は少々ひっくり返った声で「はい、何でしょう」と返す。
 男は暫く無言を守った後、うさぎを投げ捨てて未結の両の手をしかと握ると、「貴方の腕を見込んでお願いしたい」そう言って固く握手する。未結は困った様子でうさぎの方を向いていたが、壊れた腹部から見える白い粉が入った袋に絶句した。
「…ヤク?」
 内山も気付いたらしく袋の一つを手に取ると、うさぎに入った残りを引っ掻きだした。
「…これ、全部ヤクですよね」
 内山が男の背後から問いかける。男は祈るような思いで握っていた手を離し振り返ると、下唇を噛み締め頭を垂れた。
「見ましたか。…はい、それは麻薬だと思われます。約一キロは入っているんじゃないでしょうか」
「貴方はこれをどこで手に入れたんです?もしかして…麻薬のバイヤーとかじゃ…」
「違います!…あ、でも信じてもらえませんよね?」
「で?どうするんですか?」
 落ち込みかけている男の横からうさぎのぬいぐるみを拾い上げ、ぶちまけられたものを全て中に押し込み修復すると、未結は言った。男は素っ頓狂な声で返事をし、口をだらしなく開けたまま彼女を見つめる。
「私に頼み事ってこれをどうにかしてほしいんじゃないですか?あ、内山さんカフェオレ」
 カウンターに座り、黙ったままの男にぬいぐるみを投げ渡すと未結は続ける。
「私は基本的に銃は持たずに仕事をする主義なの。第一私は盗みが専門なんですからね」
「え、それじゃ貴方は」
「月夜の怪盗、裏地では救世主とも呼ばれてるらしいけど」
 やってきたカフェオレに口付け未結は男から視線をそらす。男は噂には聞いていた怪盗の本性を知り、驚いた様子で内山が出した水を一気に飲み干した。
「だって、あなたどこをみてもじょ…女子…」
「女子高校生」
「あぁもう!そんな、女の子があんなことを」
「あんたが私を問題に巻き込んだ時点で同じことよ」
 また面倒なのが…。未結は片隅で思いながら近くに置いてあった意見箱を男の目の前に差し出す。力強く置いたことで男を現実に引き戻し、肩肘をついて男へ最終確認をさせる。
「私に何か依頼するなら紙に書いてこれに入れる。嫌ならこのぬいぐるみもってとっとと消える。二つに一つ。さて、質問です。あんたはどうしたい?」
 詰め寄る未結。男はたじたじになってぬいぐるみをしかと抱きしめ、目をぎょろめかすと内山から出された紙とペンが目に入り、迫り来る麻薬を受け取るはずのこわぁい人達の顔が頭を駆け巡り、そして男は決めた。
 あなたにこれと同じぬいぐるみを持った男を見つけて取り返して欲しいと。

×××

 午後二時過ぎ。警察署内は緊迫した雰囲気に包まれていた。
 どこから溢れ出している麻薬。他の県で捜査していたらしいのだが、その犯人が秋地町に紛れ込んだと通報が入り、警官達はあちこちを走り回っていた。
「騒がしいですねぇ、外」
「麻薬の売人がこっちに紛れ込んだらしいからな。他県との強力とのことで大変なんだろ」
 しかしのけもの扱いの二人は机に向かって頬杖をつき、灰皿にあるたばこの量をみつめながら、時間が経つのを待っていた。
 最近特に増え行く暇は、正義のためだと豪語し盗みを働かない月夜の怪盗のせいだ。さすが救世主、本当に必要な時しか盗みをしないから二人のいる部屋は毎日閑古鳥が鳴いている。全く二人からしてみれば救世主なら盗みを働いて俺達におとなしく捕まってくれって話だ。
 二人が書類とにらめっこしていると、急に堤田の姿が机の上から消え、板山は驚いた。
「堤田さん…?」
 立ち上がって向かい側へ歩むとそこに堤田がいた。額に吸盤式の矢をつけて。板山は堤田の元から矢を引っこ抜くと、矢の先端についていたメモ書きを見つけ包みを開いた。するとそれは久々ので。板山のテンションは一気に上がった。ハイになった板山についていけない堤田。板山の手から覗く紙を見つめ、それが例のあれ―予告状だと分かると、こちらも急に気合いを入れ計画を練ることにした。
 向かい側のビルから堤田に矢を放った未結は、久々に使った銃の慣れ具合に不快を覚え、やはり銃を使いたくないと思った。が、そうはいってられないのだろう。これから、生死が伴う仕事をしなければならないのだから。
「…ふぅ。頭の中ごちゃごちゃだっていうのに、こんな危険な仕事させるなんてさ。神様も酷いわよね。もし危険に陥って死にそうになった時に誰も助けてくれなかったら神様、あんたなぐってやるから」

 午後十二時、ラコンド前の道ばたで本日の確認を取る内山と未結。銃も新調して内山から未結へ渡される。
「ベレッタ…ね。てっきりワルサーを持ってくるかと思ったわ」
「俺コスプレ好きやけど、銃はきちんと扱いやすさを考えるよ。命かかっとるんやし」
 やからこれね。ベレッタをホルスターにしまう未結に告げ、内山は未結を抱きしめる。
「頼むから帰ってこんってオチはなしやからね」
「うん、大丈夫。内山さんに泣いて欲しくないし、私まだやりたいことあるから」
 抱きしめ震える声で伝える内山を抱きしめ返し、未結は言う。一生の別れのように言うもんだからこちらも震えながら、たどたどしく。二人はしかとお互いのぬくもりを感じ取ると未結は踵を返して夜の闇へと飛び去っていった。
 去ってしまったラコンド前に残された内山は柄にもなく両の手を組み跪く。どうか彼女に加護がありますようにと。

×××

 消えゆく人々の気配の中、一人の男がふらりふらりと歩いていた。
 身なりはきちっとしたリクルートスーツ、右手には鞄。酒に酔ったサラリーマンかと人々がいたら思うだろう。だが、男はよろめいた拍子に路地へ入ると姿が忽然と消えていた。
 一体、彼は何者だったのだろうか。

×××

 都会から離れた廃倉庫地区。その中の一角にやくざのアジトがある。黒塚組、昼間依頼して来た男がいる組の敵にあたる。夕方ゲーセンに着たのもその組の若い衆で、そこを麻薬の取引先にしているらしい。
「でも、なんであの人ぬいぐるみ取り返したいんだろう…。別に同じのはいくらでもあるはずなのに」
 疑問が多いが、ベレッタの安全装置を外したのを確認して未結は中へ侵入した。
 倉庫内は薄暗く、人の気配は少しもない。どうやらこの倉庫ははずれだったらしい。未結はベレッタをゆっくり降ろすと深呼吸をして己の緊張をほぐした。やはりただの盗みより生死が伴う今回の方が緊張の度合いは比べようがない。誰も助けてはくれない。たった一人で望む団体さんからの盗みは緊張のあまり吐きたくもなる。未結は音を立てずに次の倉庫へ近づくと今度は庫内から微かに声が聞こえた。
「ア…アニキ。どうします?これじゃ親分に殺されてしまいますぜ」
「お前がちゃんとブツを握ってなかったからだろ。だいたいなんでウサギのぬいぐるみに入れんだよ。どこにでもあるだろ、そんなもんはよ!つか、ゲーセンじゃよけいに!」
「先方の要求なんですもん。仕方ないっすよ」
 内容を聞くに、この二人が昼間男とブツを入れ替えられた奴らしい。だけど先方って…先方の趣味って。
 と、未結が扉の前で思考を巡らせていると、背後が急に暗くなり未結は不覚にも扉に押し付けられてしまった。
「っ!」
 別の男が見回りをしていたらしく、後頭部に銃を当てられ、ベレッタを手から放すよう指示される。無理矢理にもで男から逃げてやろうとしたが、撃鉄の上がる音がして、未結はベレッタを下ろした。
 すると中に居た二人組が出て来て男と数度会話した後、未結と目が合うと腹部へ打撃を加えた。体は膝から折れて地面へずり落ちると、苦しみにもがく。男は未結が気を失ったと見ると、さっきまで入っていた倉庫にころがし、別の場所へいなくなった。
 静寂が訪れる庫内。未結は腹部を抑えながら立ち上がると、入り口を押して開くかを確かめた。やはり鍵はかけたらしい。ベレッタも取られどう対処しようかと考えた未結はまず、周りの窓を探した。ひとつ、ふたつ…三つ…。天窓として一つ。側面の高い位置に二つ。少し体に響くが、問題ない高さだ。未結は隠し持っていたワイヤーを左側の窓にめがけて放る。まもなく重りによって窓が割れ、未結は外へと脱出した。

「なんか、騒がしいですね」
 予告状を受け倉庫に向かう途中、助手席から外を眺めていた板山が言った。
「近くがやくざのたまり場になってるからな。騒がしいのも無理ないだろ」
 堤田は冷静に板山に返事しながら内心早く怪盗を捕まえたいとモチベーションを上げている。「それだけなんですかねぇ」板山が呟いたところで、もう堤田から声がかかることはなかった。
 板山は思った。今日の予告状はどこか彼女の命がかかっている気がすると。そして、場所といい。この騒がしさはきっと彼女が関わっているのでは。
「…生きてろよ」
 板山達が覆面パトカーで近くまでやってくると、黒塚組の組員があちらこちらで何かを追いかけ回していた。
「あれは…」
 堤田が追いかけている物体を見つけ、車から急いで降りる。板山も習って続いた。
 資格を駆使して物体を追いかけると板山の視界の中に未結の姿を見つけ、思わず足が動く。「おい!何やってんだ!」咄嗟の板山の行動に堤田はあわてて止める。
「お前今、何しようとした!」
「え…」
 堤田の問いに板山はきょとんとした表情で相手を見つめる。一瞬何を言われたか分からなかったらしい。堤田がもう一度同じことを言うと、板山はやはり何を言われたのか分からないでいた。
「お前今、あの中に入ろうとしただろ。それがどういうことか分かるか?死にに行くようなもんだろ!いくら予告状が来てるからってタイミングってもんがあるだろ」
 堤田の言葉に板山はしばし口噤んで、頭を垂れる。すぐ近くで銃声が聞こえているはずなのに、音は遠のき血の気も頭からさっと引いていた。
 堤田は呼ぶ、板山を。何度か呼んだ後、板山の肩を叩こうと手を挙げた瞬間、板山はそれを止め上司であるはずの堤田を睨んだ。
「俺は確かにあの怪盗を追うように上から命令されてる。けど、あれも一人の人間だ。命を狙われてるのを救うのはおかしくねぇだろ!」
「板山!」

×××

 一体何処にあるの、うさぎのぬいぐるみ。あの男がどうしても取り返したい理由を私は知りたいの。

 屋根から屋根へ、銃弾を避けながら未結は先刻見つけた二人組の男を捜していた。
「っと、銃も取り返したいけど、うさぎのぬいぐるみはどこよ!見つかる前にこれじゃ私…」
 走って走って息切れしそうなのに足は止められない。もうすぐ次の屋根に移らなきゃいけない。力を振り絞って次の倉庫に飛び乗ろうと未結は屋根を蹴り上げた。だが…。
「っ!」
 飛び乗ってる途中に、潜んでいた組員の一人が放った銃弾が左腕をかすめ、痛みに気をとられた未結は腐食していた場所から倉庫内へと落下した。
 痛む左腕。目を開ければ自分はソファーの上。そして向かい側に写る男。
「君が私の計画を邪魔する猫かいな」
 黒塚雅士、黒塚組の組長。想像しやすいスキンヘッドのずんぐりむっくり。きらきら輝く金色のアクセをあちこちに身につけ、ペルシャ猫を撫ででこちらを見つめていた。
「今は動けないで威嚇するしかできないみたいやがな」
「近づかないで」
 近寄ってくる黒塚を前にソファーの上から逃げようと未結は強く言い放つ。しかし黒塚は、ホワイトタイガーに未結を押さえつけるよう指示した。ホワイトタイガーはするどい爪を未結ののど元に突きつけ、未結の体をソファーに縫い止める。少しでも動けば赤い筋ができるかも知れない。
「…放しなさいよ」
「グルル…」
 動物に話しかけても分かる訳ないのは承知の上だが、言わずにはいられない。黒塚はそれをあざ笑い、ホワイトタイガーをどけて未結の首をゆるりと締めると至近距離で言った。ヤクはどこへやったと。
「私の子分達は私思いでね。血圧があがらんよう皆失敗を伝えんごとしてくれる。でもなぁ、同時にアホや。失敗言い散らしたら意味ないと思わんか」
 首を絞める力がこもり、未結は苦悶の表情を浮かべる。ただでさえ流れ弾で左腕をいためているのだ。もうすでに意識は遠のき始めていた。
「さぁ、早ぅ言わんと。君の両親や家族に二度と会うことはなくなってしまうで」
 ほら。黒塚は至極楽しそうに締め、人の生死を己が握っていることに優越感を感じていた。一方未結は、両親という会うこともできぬ相手をだされ、いっそのことこのまま…そんな事を考え、体をぶらりと倒し、死への覚悟を見せる。
「ほう。自分の仕事を全うできひんなら死を選ぶと。娘子のくせに潔いいなぁ。そんなら望み通り首締めたる」
 息が苦しくなっていく。手足もしびれて思うように動かない。視界に写る黒塚の卑しい顔もぼやけてきて、いよいよこの世との別れを告げなければならないと未結は静かに、しびれる両手を胸の前で組む。
「ごめんなさい内山さん。約束は守れそうにない…」
 です、と未結がその言葉を脳裏に浮かべたその瞬間、黒塚の呻き声がして未結の中に大量の酸素が巡った。過呼吸にでもなりそうだ。涙目になりつつ未結は何が起こったのかあちこちを見渡すと正面に一人。自分が盗るはずだったうさぎのぬいぐるみを脇に抱えた黒いタキシードの男がいた。未結は刹那我を疑った。どこかで見た…ヒロインをさり気に助け、いずれそれは前世から決められた運命の人だった。みたいな漫画が頭をかすめたりもして、未結はふらつく体で首を何度も横に振った。
「大丈夫?」
 一人で悩みの渦に巻き込まれていると、不意に声を掛けられ未結は驚く。といっても、意識は未だもうろうとしているのでそうは見えないが。
「ちょっとごめんよ」
 そしてまだ返事を返してないというのに男は未結を肩に担ぎ、扉を足で押し開くと夜の闇へ走っていった。

×××

 呻く黒塚と、故意にぶちまけられたヤクだけとなった倉庫にやってきた板山。状況を察するに、未結がとっちめて逃げ切ったのを悟り、自然と安堵の笑みがこぼれる。
「板山!」
 後から来た堤田も今回ばかりは自分の追うべき人物が死の狭間に陥りかけていたのかと思うと悪寒はすぐに拭えそうになかった。堤田はとりあえず、麻薬取締法違反として黒塚を手錠で拘束する。増えていくパトカーの音に他の組員も捕まっているだろう。
 ただそんな中、安堵の笑みをこぼしていたはずの板山が、ソファーまで近づいたと同時に言葉を忘れてしまった。絶句する板山の元へ急いで堤田が歩むと、ソファーの上にあったのは動物の爪で裂かれた傷と革張りのせいで溜まった血の海が広がっていた。
「…怪盗の血ですかね…」
「死んではないと思うが、傷は深いかもしれないな」
 助かってくれ。今の板山の心をいっぱいにさせるのはそれだけだった。

 男に連れられ、裏地近くの路地についた未結は傷による熱で意識が飛びかかっていた。男は未結を壁に寄りかからせ汗を拭うと、スーツからバンダナを取り出した。優しく傷を覆い、これ以上血が出ないように応急処置をするとうさぎのぬいぐるみを差し出す。
「これ、君が狙ってたやつだよな。君に頼んだ人は相手のことをとても幸せにしたいと思っているみたいだ。まぁ、今回は入れ物が悪かったみたいだが」
 男は微笑して二三歩後ずさりすると闇夜へと姿をくらましていった。
「…パパ」
 とても、懐かしい匂いが駆け抜けた気がした。

 二三日後、きちっとした服に身を包んだやくざ男がウサギのぬいぐるみをうけとって何度も未結達にお礼をしていた。未結は長袖で左腕を隠し、喜ぶやくざ男に問いかけた。
「ねぇ、私すごく気になっていたんだけど、一体その中には何が入っているの?」
「えっ…それは…」
 男は口ごもってもじもじしていたが、「取り返して来てくれましたし、お教えします」そう言い、マジックテープで止められた作りの背中を開いて、未結に差し出す。受け取った未結は背中のポケットから箱を出し、見つめれば意図は自ずと見えてくる。
「指輪…」
「えぇ、俺やくざから足を洗って結婚するんです。それで、相手を驚かそうとしてたんですが、あんなことになってしまって。本当にありがとうございました」
「幸せにしてあげてください」
「絶対に」

 あんたにならきっとできますよ。


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