Act.02 奪還。

 教室のドアに仕掛けられるものに何があるだろうか?
 黒板消し、水の入ったバケツ。まぁ、これが妥当であろう。が、未結がドアをあけて降りかかったのは、幼馴染みの裕太からの熱い抱擁だったのだ。
「未結遅いで!後十分で遅刻やったやんかぁ!」
「いいからどいてください」
 未結は上に飛び乗ってきた猿をどかし、着崩れてしまった衣類を整え。ぐちぐち文句を言いながら鞄を取って、未結は立ち上がると視線の先にある会社から発行された新聞があった。その一面には大々的に昨夜の事件が載ってあり、今朝あった老人もしっかり掲載されていた。
「……」
 落ちていた新聞を拾って眺めていると、飛ばされて気を失っていた裕太が興奮していった。
「あ!未結、それすごいと思わへん?」
 どうやら新聞を持ってきていたのは裕太だったらしく、未結からそれを受け取ると愛しそうに抱きしめた。さすが、月夜の怪盗の大ファンだと言いたい。のだが、本人である未結からしてみれば、早急にそのむさくるしい胸の中から救っていただきたいと思う。
 未結が嫌々ながらに新聞を眺めていると、そこに別枠である宝石の見出しがあった。不意に気になった未結は裕太から新聞を奪い取り、さらりと読む。そこには、初めての試みでできたカッティングで作られたダイヤモンド『人魚の涙』の写真が載っていた。奪われた裕太は、未結に取られた月夜の怪盗を取り返そうと手を伸ばすが、なかなか未結は返してくれない。散々弄ばれた後、裕太の元に新聞が返ってきて裕太は半泣き状態になりながら、それを抱きしめて席に着くのだった。

×××

 昼時になり、外食をしに行った人々がいなくなった怪盗捜索課では堤田が新聞を今にも引きちぎりそうだった。
「あぁ!またやられたぁ。ったく、こそ泥のくせして!」
 丸刈りの頭をかきむしり、これから先放っておいても薄れていく髪を無駄にしている堤田の傍では、机に足を置き真昼間からいやらしい雑誌を顔に被せて睡眠を貪っている板山の姿。昨夜怪盗を逃がした決定的人物は自分だというのに、それはダミーにつられて行った堤田へのあてつけのようにもとられた。
「別にそれのお陰で捜査一課の方の仕事が一個片付いたんでしょ?いいじゃないですか。いっそのこと怪盗と提携を結んだりとかして…」
「お前は警察としてのプライドってのがないのか!」
「いや、別にそこは関係ないような気がしないでもないんですけど…」
 板山は溜め息まじりにそう言うと、雑誌を閉じて店屋物を食べようかとメニューを引っ張りだす。
 未だ堤田はがみがみ言っていたが、板山は特に気にする様子もなく電話を取ると、注文を叫んだ。
「あ、天丼ひとつ」

 その頃、食事を終え、五限目をさぼるために屋上へやって来た未結。裕太を撒いて静かな青空は寝不足の未結には絶好の天気だった。未結はドアを開けてもすぐに見つからないように裏側へ回ると、持って来ていた学校指定のジャージをコンクリートに敷き、そこへ横たわる。すぐに睡魔はやってきて、未結は静寂の夢物語へ旅立つ…はずだった。
 突如けたたましい騒音が耳元で鳴り響き飛び起きてみると、携帯を握ってしゃがみ込んだ不機嫌な裕太がそこにいた。
「…携帯鳴ってんねんけど」
 食堂に放置をくらったため、イライラした様子の裕太にいわれ、携帯を受け取る未結。出ていいのか裕太に目配せすると、そりゃもう目も当てられないほどの苛立ちが代わりに送られ、そそくさと未結は電話に出た。
「あ、仕事ひとつ」

 警察署の前に着き、ぶちぶち文句をいいながらも、笑顔で門を通過した未結は天丼片手に敵地のドアを叩いた。
 中から出て来たのは板山。ハリネズミのような…ある種攻撃的な髪型に対し、もの凄い寝起き丸出しな表情で金を払うと、気の抜けた笑顔をふりまき、室内へと消えていく。しばらくすれば仕掛けた予告状に気付いて追いかけかねないので、未結は早々に踵を返して、己の本来いるべき仕事場へ戻った。あぁ、また裕太を放置してしまった…。
「大丈夫…だよね?」
 神のみぞ知る。

「で、何やったん?さっきの電話」
 大丈夫じゃなかった。どうしよう、彼は今「何?何?」攻撃を駆使して未結を追いつめようとしている。しかし未結も「はい、さっきラコンドから呼び出しくらって予告状渡してきました」なんて馬鹿正直に言えるわけがない。未結は口をパクパクさせながら、裕太に何を言おうか考えることにした。
「ねぇ、言えへんような事なん?」
「いや、さっきのは…」
「さっきのは?」
 考え事をしながら応戦していると、急に裕太は捨てられた子犬のような表情で問いかけて来た。未結がなかなかいわないので揺さぶりをかけてきたのだ。これには未結の心も怯む。思わず「予告状」という言葉を発してしまいそうになり、未結は急いで手で口を閉じた。
「…そんなに言いたない?」
「……」
 汗だくだくで、裕太の最後の言葉に折れそうになる。もうだめだと口を開こうと未結がモーションをかけると、それより先に裕太は正座を斜めに崩してこう言った。
「あぁ、とうとうラコンドの内山さんと愛の営みを…つかある意味近親そ…」
「黙れ、チビサル」

×××

 午後十一時。未結は人魚の涙を奪うため、美術館にある電話ボックスにて、内山との最終確認をしていた。
「よか?依頼主が家宝として大事にしとった宝石やから、あんまり乱暴に扱ったらいかんよ?やないと…」
「傷ついちゃうんでしょ?大丈夫よ」
「まじ、頼むけんね。時価数億円はくだらないらしいんやからさぁ。どっか一つでも傷ついとったら、報酬貰うどころかラコンド売っても足りんけんが、未結に体売ってもらわないかんけんさ…」
「絶対傷つけず持って帰ります」
「そ?ならいいんやけどさ。んじゃ、人魚の涙の在処なんやけど…」
 そして同時刻。美術館の警備にやってきていた堤田は、またいなくなった板山に頭を抱えていた。
「…おい、頼むから消えるなよ…」
 前回と同じように、今度は車から降りるまでは一緒だったのだが美術館に入る頃には横から消えていたのだ。しかし、鈴村宅より広いこの美術館の中で見つかるのかと問われれば、それは皆無に等しい。堤田はもう一度呟くと、警備員に連れられて人魚の涙の元へ急いだ。

「服装よぉし、インカムよぉし、窓の高さよぉし」
 意気揚々とテンションを高め、未結は柔軟運動をしながら周りの様子を確かめた。本日は正面に二人、人魚の涙に通ずる入り口に二人。それから、足音を聞く限り、人魚の涙の周りに七人が配置されている。未結は少々面倒だなと思いながら最後にシャドーボクシングをして、窓目掛けて体を滑り込ませた。
 高い位置の窓が割れて、警報機が一斉に作動する。警備員はもちろん、堤田も何事かと思い、窓の割れた人魚の涙がある部屋の隣を覗きに行った。もちろん、数名は残してあるが。
「全員、惑わされるな!これは奴の罠だ!」
 堤田は自慢の大声を張り上げ、周りに知らせる。警備員達はそれを聞き冷静になってライトを要所要所に当て、未結扮する怪盗の姿を追いかけた。が、消灯時間を当に過ぎている美術館はさすがに暗く、すばしっこくて気配をうまく隠す未結の動きにはついて行くことができない。未結はまず、一人目の警備員の背後を取ると、上空からの力を加えて肩に乗る。がくりと体制を崩された警備員その一はその場に倒れると、そのまま未結に踏まれ意識を飛ばす。それによって漸く未結の気配をつかんだ次の警備員がやってくるのだが、それも未結の計算通り。七人いたうちの3人が様子を見に来ていたようで。二人同時に未結を取り押さえようとしたが、暗闇に乗じて片方の警備員の背後に回ると、二人は勝手にお互いにぶつかりのびてしまう。
「やっぱり情けないだめ警察よねぇ」
 警察が聞いて呆れるよ。未結はそう吐き捨てのびている警備員達を隅によせる。そして、まるでばっちいものにでも触ったかのように手を何度か叩くと、さて次〜。隣の部屋へ向かった。
 美術館裏にいた板山は警報が一斉に鳴ると、吸っていたタバコを携帯灰皿に捨て近くに開けておいた窓から室内へと入った。外の暗闇に慣れていたせいか、ある程度の荷物やその配置がわかる。板山は気配のある方へ進んでいくと、でかいホールへとやって来た。
「…あれ、ここが」
 その大ホールに入ると、最初に目に入ったのが人魚の涙だった。月明かりに照らされ、七色の光を放っている。初めての試みによってカッティングされたそれは、怪盗でなくても誰もが目を奪われるようなものであった。
 板山がその場に留まって人魚の涙を眺めていると、警備員の一人が横をすり抜けて隣の部屋を見に行った。そしてその数秒後、その警備員の悲鳴。板山は怪盗に遭遇したのかと、先ほどすり抜けて行った警備員の後を追う。が、ドアを出て曲がった先には何もなくただ警備員その四が意識を飛ばしてしまっていた。
「あ…あぁ…」
 板山は瞬時に誰かがいるのではと思い、辺りを確認するが気配はひとつもない。もうすでにどこかへ移動したのか、今度は人魚の涙のある部屋に戻ると先ほど確認した堤田や警備員達以外にもう一つ。気配を感じた。
「何が目的なんだ」
 堤田や警備員達が気配に気付かない中、板山はそういう。堤田達は全くその行動の意図が読めずにいたが、警備員の誰かの悲鳴によって漸く気付く。
「そこか!」
 倒れた警備員のすぐそばにいた、二人の警備員達がその場に向かう。未結は学習しないなぁと思いながら身を翻すと、降り立った先にまた別の気配を感じ、しゃがみ込んで足を払う。相手にロックされた板山はすぐさまその蹴りを避け、応戦する。
「目的は何なんだ」
 激しい戦いの中、板山は未結に問いかける。しかし、安易に声を聞かせるわけには行かず黙って未結は取っ組み合っていると、足下の警備員に気付かずそれに躓いてしまった。
 あっ、というには遅すぎて未結の体は後ろへ倒れ込むとその勢いに合わせて板山が押さえ込もうとする。だが、逆にその力を利用してともえ投げを掛けると、板山の軽い体はあっさり飛ばされて行き、板山も気を失った。
 静かになったホール。けれども未結は気が抜けない。なぜならまだ堤田の気配が残っているからだ。
「おい、お前はどこにいるんだ」
 視界は見えども、彼と取っ組み合いになれば板山のようにはいかない。さすがにあの飾りのような巨体はそうではないはず。未結は慎重に人魚の涙に近づくと自分の気配に気付かれる前にケースを取り除き、人魚の涙を奪うと、隠し持っていたワイヤーでつり上がる。そして月明かりの入る窓辺へ行くと、本物かを確認知るため、宝石をかざした。内山が言うには、カッティングによって反射光が虹を作り出すという。だが、未結のかざしたそれは虹と作り出すことができず、ましてや輝くこともしなかった。
「ちょっと…なんで」
 未結が慌てた様子で、翳し方をかえていると、下の方から堤田の高らかな笑い声が響いた。
「ひっかかったな、こそ泥め。さすがに輝きが本物の証明を示すものだとなると、見分けられなかったようだな」
「…本物はどこ」
 堤田が誇らしげに言うと、未結はもう一度やみに紛れ問いかける。が、堤田は作戦にのぼせ上がり、言おうとはしない。腹が立って声を荒げてもやっぱり大人。それでは何も進みはしない。未結は上がってしまったボルテージをできるところまで下げると、気配を消し、堤田に対抗した。
「質問に答えて。本物は何処に隠したの」
「本物はどこかにあるんじゃないのか?くまなく探せば、転がってるかも知れない」
「強情な男は嫌い」
「盗人の女は興味ない」
 月には月を、歯には歯を、暴言には暴言を。未結の台詞をことごとくスルーし、堤田は暗闇の中で笑ってみせると、未結に見えるように窓から入る光の中へ身を滑らせる。自分が優位に立っているとわかっていなければできない、堤田にしてはあり得ることのないその行動に未結は己の知能をフルに回転させ、原因を解いた。
「あんた、月光の下に出たことを後悔しなさい」
 未結は堤田に向かってそう言うと、背後に回って頭上から飛び降りた。やはり、自分が光の中いる分、襲ってくる方向がわかるのか、すぐさま振り向き未結の動きを止める。だが、彼女も負けない。手をついて捻りを加えて捕らえられた足を自由にすると、堤田はよろめき、その隙をついて堤田のジャケットをはぎ取った。ジャケットを捕らえた彼は、取り返そうと立ち上がるが、窓に逃げる彼女に追いつけはしない。と、彼女自身も思っていたが違った。堤田は彼女の左手を爪をたてて掴むと、引きずり降ろすために力を込める。
「っ…あっ」
 相手にダメージを与えるために研がれているんじゃないかと思われる爪の強さに未結は顔をしかめる。ワイヤーを掴む右手にも痛みに連動して力を失い始めていた。
「ジャケットを返せ!」
「いやよ、そっちこそ手を離して…」
「せっかく捕まえたお前をそう簡単に逃がすものか!」
 必死の抵抗もむなしく、堤田の力が未結のそれを上回り、ワイヤーを握っていた手をゆるめる。未結の体がゆっくりと地に降りるのを見ながら、堤田は勝機を感じた。しかし、未結が隙をついて急所に蹴りを入れ、堤田は苦悶の表情を浮かべ倒れる。
「っの…れ」
「そんな格好で言われてもねぇ。それじゃ、このジャケットに入ってる人魚の涙はいただいて行くわね」
 未結はジャケットの中から人魚の涙だけを取り出し、いらないジャケットを放り投げる。ジャケットは堤田の顔面を覆い、未結の行方を追わせない。痛んだ手でもう一度ワイヤーを掴むと、姿を翻して月夜の町へ消えていった。

「逃げられちゃいましたねぇ」
 月夜の怪盗が消えて堤田が途方に暮れていると、目を覚ました板山が言った。「お前、いつから起きてた」未だ痛む急所を抑えて堤田は言い返すと、板山は手を中途半端に広げ、しらばっくれる。
「さぁ、どこからですかねぇ」
 板山の態度に悶絶していた彼は殴りたい衝動にかられたが、如何せんこの状態では無理なので堪えるしかなかった。
 それを尻目に板山はタバコをふかし始めると出ていった窓を眺めながら呟く。
「また、持ち主の元へ行くんだろうな」
 堤田は心底そうならないことを望んだが、ことごとくその願いはくずれさったのだった。

×××

 美術館から出て来た未結は、ある程度逃げた先の公園に身を潜めた。血は出ていなくとも鈍く痛む傷は逃げるのに必要な体力を奪うもの。未結は口元を隠している布を外して傷口を覆うと、もう一度地面を蹴りだす。
 しばらく歩いていれば、様子を見に来た内山に拾われ、無事にラコンドへの道筋にのることができた。
「盗んでこれた?」
「うん」
 車の中で内山にいわれ、人魚の涙を見せる未結。何度か「壊れとらん?」と問われたが、珍しく捕らえかけられたので精神的にキており、座席を倒すと「寝る」見当違いの答えを言って睡眠へと入った。
 眠ってしまった未結の隣で運転していた内山は後部座席からタオルケットを取り出し上にかけてやると、人魚の涙をそれ専用の箱へしまい、ラコンドへ急いだ。

 翌日、一人の老婆が訪れて、朝食を歩奪っていた未結と目が合うと、老婆は高貴な笑みをこちらに向けて着席する。内山はたった今煎れたコーヒーを老婆の元へ持って行くと幸せのソーサーと黒い包みを置いて言った。
「こちら当店からのプレゼントでございます」
 老婆の微笑む顔が、未結の疲れを癒した。そんな一瞬が美しく見えた。
「あ、内山さん」
「ん、何?」
「靴、洗っておいてください」
「なんで?」
「ノーコメント」


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