Act.01 新任刑事。

 板山稔、御歳二十…六歳。最近前にいた署から吹っ飛ばされて秋地署に勤務になった男。顔は変にスマート(要するに痩せこけ)で、頭はハリネズミのようなセット。身長はそこそこ。そんな彼がトレンチコートを羽織り、本日秋地署へやってきたのだが…。
「君!ちょっとこっちの電話に出てくれ!」
「おい、手のあいてる奴こっちに回れ!」
「秋地五丁目にて万引きが…!」
 入り口で迎えられたのは盛大な罵声の数々。尻込みしながら板山は署長室へ向かう。エレベーターに乗り、それなりに良くて値段の張るような木で作られたドア。板山は整えられた髪が崩れない程度に頭を掻き、右手で軽く数度たたいた。
 が、返事は一向にやってこない。板山は時計を見た。呼ばれた時間が間違っていたのか?いや、時計を見る限り間違っていない。きちんと十分前についている。なのに時間を指定したはずの相手が部屋にいないとはいったいどうなっているのだ。板山は幸先の悪いスタートに深い溜め息を吐く。こんな所に飛ばされても、俺は適当にあしらわれるんだなぁと。そう思っていた。
「おい、お前何してんだ?」
 誰もいないので踵を返してまた体制を立て直そうと後ろを振り向いた瞬間、何者かと目が合い板山は驚いた様子でそちらを見た。すると、向こうも驚いたようで目を見開いてくる。そして、板山と署長室を交互に視界に入れると、巨漢の男は署長から話を通してもらっていたのか。「あぁ〜お前が新しい…」そう言い、板山の肩を抱いた。
「お前が今度俺の下に配属になる板山か?」
「あ、はい。板山です」
 なんという偶然なのだろうか。巨漢の男改め堤田は「いい所に入ったよ」そう言わんばかりの視線を向け、顎に手を置いてふんふんと板山を吟味した。
 その間、板山は黙ったまま固まっていた。なんでか知らないが、どうしても堤田の視線が熱くてたまらないのだ。あ、いや別に板山自身そっち方面に興味は皆無に等しいのだが、彼の向ける熱は板山が「もうなんでもしちゃいます!」と叫びそうなくらいのものであった。
 吟味の時間が終わったのであろう。堤田の視線という熱から解放され、板山は深呼吸を二回した。実際もっとしたかっただろうが、堤田の肩まわし攻撃により、それを行うことは拒絶される。
「お前、今日から配属なんだよな?」
「え、あ…はい」
 肩に回られた手を如何にして払おうかと思案していると、不意に堤田に声を掛けられ、曖昧な返事をする板山。堤田は板山のそんな適当さなど気にすることなく肩を数度強めに叩くと「んじゃ仕事だ」そう言って連れてこられた新しい職場で大きな段ボールを一つ持たせられた。何なんだ?板山は頭上にクエスチョンマークを浮かべて段ボールの横に書かれた分類を見て、さらに首を傾げた。
「月夜の怪盗について?」
「そう。聞いたことない?最近巷で救世主だとか騒がれてる大泥棒。まぁ、俺としてはただの窃盗犯だけど」
 堤田は呆れたようにそう言うと、中からある一冊の資料を出して、それを板山に突き出す。痩せこけた板山の胸元にぶつかったその資料を受け取り読んでいると、一人の女怪盗について細かく記入されていた。いつ現れ始めたのか、盗んで来たもの。その後その盗んで来たものをどうしたのか。板山はその資料をまじまじと読んでいるうちに、ある一つの法則に行き着いた。
「あの、これ…全部元の持ち主の所ってなってますけど?」
「え?あぁ、そいつが盗んだやつは全部元々は別の人のものだったって率が高くてな。悪い奴から奪い返してるって話。救世主って呼ばれてんのはそのせい」
 …んじゃ、いいことしてるってわけじゃないですか?板山はとっさにそう言おうとしたがやめた。せっかく見せてもらった資料にケチを付け、あげくの果てには犯罪者の片棒担ぎな発言をしようとしていたのだ。それがこんな所で許されるわけがない。
 結局黙ったまま仕事を続けることに決めた板山は、自分が受け取った段ボールを開けると、次から次に資料に目を通していった。
 一時間くらい経った頃だろう。板山がここについた当初騒がしかった入り口や廊下も、出払ってしまい閑散とする。前日変に緊張して眠れなかった板山は睡魔と戦いつつ、資料に手を伸ばそうとしたその時、資料の端から何か小さなメッセージカードが落ちて板山は堤田を呼んだ。
「すいません。これは何ですかねぇ…?」
 板山に呼ばれ、同じく寝こけ掛けていた堤田が近づいて来てカードを見る。シックな黒の紙に明るい月がカードの右下に描かれ、中に予告状という言葉で始まる文章。堤田は「これはな」カードを半ば乱暴に机の上に置いて奴からの予告状だ。そう述べた。
「奴は警察をなめてる。だから、自分が盗むものを決めると必ずこういうカードを送りつけてくるんだ。日時、場所、盗むもの。こっちが知りたいことは全部それに書かれてあった。けど、けどいつも奴は俺達を欺いて盗む。そして、だめ人間の集まりと呼ぶんだ!」
 堤田は興奮のあまり板山の机を蹴ると、カードを握りしめ千切りゴミ箱へと投げた。
「あ、ちょっといいんですか?」
 突然の不可解な行動に思わず板山は口を挟む。が、堤田は全く聞く耳を持たず自分の席の上からタバコを引っ掴み、一言吸ってくると告げ部屋を出て行った。
 残された板山は、たった今捨てられた予告状が気になって、ゴミ箱の中からかけらを全て拾い終わると、机の上のものを全部よけて修復を始める。数分してそれは原型を取り戻し、文章も読めるようになっていた。
 板山はその字体を見てかわいい字だなと思いながら、読んでいるとまたもや変な所に目がいって板山は思わず口に出してそれを読み上げた。
「予告状。今宵セレブ街にある鈴村氏の家に絵画コレクションをいただきに上がります。月夜の怪盗より」
 板山は予告状に記入されていた日にちと携帯の待ち受けに出ている日にちを見比べて、顔面のパーツをこれでもかと混ぜた。
「堤田さぁん。これ今日の予告状です」
「出動だ!」
 いいのか、警察!

×××

決行が決定されたその日、鈴村宅では盛大なパーティーが執り行われることになっていた。と、内山はパーティーの招待状を差し出して言った。
「へぇ。で、私がそこに忍び込むわけ?」
 古典的よねぇ。未結はお気に入りのカフェオレを飲みながらそう返す。内山の方は「どの作戦も古典的…ようするに基本が一番やろ」それがいかにもセオリーのように言ってのけ、奥の部屋に入る。その様子を未結は不思議そうに見つめていたら、クローゼットが数回開け閉めがなされ、内山がカウンターから出てくると、その手にはラメが輝くスレンダーな赤のドレスが握られていた。「それ何?」未結はカフェオレを置いて、答えのわかった質問をする。案の定内山はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの表情をこちらに向け、赤のドレスをぐいっと突き出す。
「お前が着るんよ」
「何を?」
「これを」
 刹那…。未結は目の前にいる己の保護者の首を絞めてやろうと思った。が、実は未結より彼の方が強かったりするので、そうはしない。未結は衝動を押し殺して赤のドレスを受け取ると、自分の丈に合わせてみた。
「…どう?いいドレスやろ?」
 内山の声に未結は曖昧な返事をする。なぜなら、彼が渡して来たドレスは凄いくらい胸が強調されており、悲しきかなそこまで成長されていない未結の胸では強調されるどころか空洞が開いてしまう。内山の問いにたっぷりと間をとって吐いた未結の台詞はその場の空気を一二度下げた。
「内山さん好みの巨乳じゃなくてすみませんね」
「あ、心配せんとって。特注の胸パット付きブラがあるけん」
 が、気にする様子もなくもう片方の手で持っていたブラジャーを未結に向けると、満面の笑みで未結は言った。
「内山さん、しばらく黙って」

 結局、特注胸パット付きブラを装着して鈴村宅に現れた未結。メイクも施して普段と全く違う姿へ変身を遂げ、招待状を何気なく見せて侵入は成功した。
 中はセレブらしく豪勢なシャンデリアやテーブルの上の食事が並び、どれもこれも目移りする。しかし今はセレブ。セレブはセレブらしく気品あふれる態度をとってその場を凌いだ。
 しばらくあちこちを見回していると、奥にある部屋から一人の女性が現れた。鈴村夫人だ。隣には客人に悟られぬよう正装をした堤田の姿。本来、並び的に『美女と野獣』なんていう状況なのだろうが、如何せんお世辞にも美女とはほど遠い位置にいる夫人と堤田が並んでも『野獣と野獣』にしか見えなかった。
 とりあえず、未結はそれによって笑うのを堪え、少し離れたところへ逃げると警備の数を調べるため、その部屋の中二階に上がった。吹き抜け状態の部屋は眺めがよく、警備の数も簡単に把握できる。未結はいつも大事に付けているピアスがある左耳の後ろへ手を伸ばすと、誰にも気付かれぬよう小型カメラを取り出して周囲の写真を撮っていた。
 人々は皆たいそう間抜けな顔をしており、夫人の隣で立っている堤田もこれまた大きな欠伸をする。なんとなくその決定的瞬間もおさめた未結は他の部屋も見ておこうと、近くのボーイに出口を聞き、大広間を後にした。

 お宝は地下にあり。部屋から出た未結は半端なく大きくしてある胸を揺らしながら歩を進めていると、コレクションルームと書かれた部屋が未結の前に姿を現した。彼女は唖然とした。もうこれでは『ここに貴方の求める物があるからどうぞ盗んでください』と言っているようなもの。未結は少々ばかばかしくなりながらも、本日公開されているその鈴村宅のコレクションを見るべく、警備員に会釈し入室した。
 その頃大広間で刻々と迫る予告時間を気にしていた鈴村は至極コレクションを心配した様子で挙動不審になりつつも、次から次にくる客を捌いていた。
「鈴村さん。本日は呼んでくださって本当にありがとうございます」
「いえ、こちらも来て頂き嬉しく思いますわ」
 それを尻目に堤田は新米の板山を探す。この広間に入る前はいたはずなのだが、気付けば夫人の隣を守っていたのは自分だけ。何とも寂しい光景であった。それが午後十一時二十分のこと。

×××

 時刻午前零時。ドレスを脱ぎ捨ていつもの怪盗の姿になった未結は目的の家に植えられた木にたどり着くと、既に汚れている姿を眺めながら呟く。
「どうにかなんないかなぁ」
 全く、こんな怪盗に盗まれて来ていると思うと警察の技量は知れたもの。第三者が見ていたら本当に呆れる以外にないだろう。まぁ、それはおいといて。未結は先ほど撮った写真と間取り図を見ながら警察の配備具合の最終確認に取りかかった。

 入り口に二人、各部屋の窓に一人ずつ。それから部屋に五人と家主。よく見るとコレクションルームに戻って来ていた家主は先ほどよりおろおろしており、堤田に向かって必死に何かを言っていた。
「ほんとぉに大丈夫なんでしょうね?」
「えぇ。大丈夫ですから、鈴村さんは別室で…」
「ほんとにほんとぉに?」
「だからぁ!大丈夫ですって」
 どうやら盗まれることを恐れて何度も確認を取っている様子。さっき言った通り、お世辞にも美人とは言えないセレブの人間に言い寄られ、堤田は心底参った感じだった。これには未結も同情の色を見せた。もちろん、堤田ではなく絵画に。
「あんなぶっさいくにもらわれちゃうとはねぇ…。絵画も泣いているわよきっと…」
 未結はその事実に俄然やる気がでると、腕まくりをして屋根に飛び乗った。屋根の上に上がるとさすがだめ警察。屋根裏にまで警備が行き届いておらず、さらには暗闇を扱うのにもってこいのブレーカーもちゃんとそこに設置されていた。
「失礼しまぁす」
 誰に言うわけでもなく屋根裏の窓を開けて中へ入る未結。
 さてどうしようか。一斉にブレーカーを落とすのも楽しいが、それでは関係のない客人にまで被害が及ぶ。それを避けるため未結は個別のブレーカーを見つけると、誰もいない三階、屋根裏のブレーカーを落とした。元々灯りのついていないので誰も気付きはしない。次に二階の廊下を落とすと少しざわめく。外にいた警備も不思議に思い出したのだ。
「それでは、作業開始」
 未結はひとりごちると、面が割れないようにアラビア風に口元を隠すとブレーカーの落ちた三階へ身を滑らせた。
「三階へ参りまぁす」
 屋根裏から降りて来た未結は目を慣らすために目を閉じてゆっくりと瞬きを繰り返す。しばらくして次第にあちこちの物がうっすらと見え、未結はそっと歩を進め始める。
 下ではおろおろしている夫人と不本意ながらなだめている堤田の声。未結はその声を増幅させるべく、屋根裏から引っ張って来たひもを軽く引っぱり、括られていることを確認すると、今度は思い切りそのひもを引いた。すると、鈴村宅の灯りは全て消え鈴村夫人の怯えきった声が聞こえ始める。少々耳障りではあるが混乱していてくれた方がこちらも楽に仕事がこなせるというもの。くくり付けていたひもを簡単に回収し、未結は二階へと降りる。
 下に降りることで、夫人達の声は更に鮮明に聞こえるようになった。
「ちょ、私の!私の絵画達が盗まれてしまうわ」
「落ち着いて、落ち着いてください鈴村さん!」
 なかなかの怯えっぷりに数度頷きながら、幽霊さながらな音を出してドアを開ける未結。堤田ははっとして、こんなこともあろうかと持って来ていた懐中電灯を取り出してそちらを見る。が、もちろんそんなことで未結が見つかる訳なく、ライトをあちこちに当てた。
 その時、ドアと対称につけられた窓が不意に開け放たれた。外で「こっちだぁ!」と叫ぶ頃には堤田は落胆の声を上げながらも、そのでっぷりとした巨体を揺らしながらそれを追っかけ、警備員もそれに続く。夫人は、堤田を追う気力もないのかその場にしゃがみ込むとそのまま気を失ってしまった。
「ほんとは誰もいない方が楽なんだけど…」
 気を失った鈴村夫人のみとなったコレクションルームの床に愚痴を零しながら降り立つのは未結。
 先ほど外へ出て行ったとされたのは、実を言うと未結本人ではなくただの重り付き風船。警察が追いつく頃には萎んでしまって、またドジを踏む予定。
「さてと、この名画達を運び出さなくちゃ」
 時間がないので張り切って未結は名画達を運ぼうとする。が、いくつかの絵画を頼んでおいた運び屋に付けてもらっていたトラックに運び出した所で変な違和感を未結は感じとった。
「これは…」
 と、同時に残されていたらしい警官の足音が聞こえ未結の心臓が警告音を鳴らした。
「…もう、みんなあっちに行ったと思ったのに」
 未結は慌てて残りのものをトラックへ運び、窓の桟に駆け上がる。けれども、寸でのところでブレーカーを上げたらしく灯りが灯され、部屋に入ってきた警官が未結の元へ走って来た。
「お前が、怪盗か!」
 新米の刑事板山は、桟まで走り後ちょっとの所だったのだが、未結もそこまで馬鹿ではない。窓から飛び降りトラックに敷いていたマットに着地すると板山に向かって自分の仕事は終わったという意味を込めて手を振った。
「今宵も月夜に似合う美しい物をありがとう」
 初めて聞いた彼女の声とシルエットに板山は、捕まえたい衝動というより、なんだか胸がきゅっと締められる思いだった。幼い訳でもなく、かといって大人びている訳ではない未結に…まだ気付かない感情を抱いたのだった。

 トラックで走り去っていた未結はといえば…。
「はぁ、もう何なの!新米さんは…。新米さんは新米さんらしく上司の元について行ってよねぇ」
「でもまぁよかったじゃん。無事全部盗めて」
 トラックの荷台から助手席に移り、口元を隠していた布を取り去って風に髪を弄ばせていた。そして、隣にいる運び屋の的場と今日の反省会をしていたのだが。
「そうなんだけど、後ろに乗ってるやつね」
 未結は後ろの方を向いて溜め息を吐くばかり。不思議に思った的場はクエスチョンマークを浮かべつつ、問いかける。
「どうしたの?」
「美術館から盗まれた盗品だったりするのよ」
 的場の問いに未結がさらりとそう言うと、的場は驚いたらしく運転を狂わす。さすがに未結も慌てて前向くように指示を出すと、前を向いてまた安全運転に徹した。
「で、これどうするの?」
 絶対に未結の方を見ないと決めた的場がもう一度質問を投げる。未結は考えに考えた後、依頼者の本当の理由がわかったらしく笑顔でハンドルを横から握ると、ものすごいハンドリングである美術館に向かった。

 次の日、新聞には月夜の怪盗が盗んだ絵画は盗品でそれぞれの美術館に戻されたこと。鈴村が実は盗品だと知っていて買ったと自白して、バイヤーを何人も逮捕したこと等が取り上げられていた。
「内山さん。美術館のオーナーだって気付いてたでしょ?」
「ん、何のこと?俺は別に困ってる人を助けんのが好きなだけよ」
 ラコンドにやって来て新聞を読んだ未結。先ほどの事実と内山の言動にまんまといいように動かされていたことに少々腹立て、何度も内山に対して問いただすが、彼は何も確信には触れず、ベルに反応して客を迎え入れた。
「はい、いらっしゃいませ」
 内山が客に気が行き話がそこで打ち切られてしまったため、もう学校へ行こうかとカウンターのいすから降り振り向く。するとそこにいたのはテレビに何度も写っていた美術館のオーナーで。内山はにっこり微笑みながら彼の元に行くと、「おごりです」そう言っていっぱいのアイスコーヒーの下に黄色の『幸せのソーサー』を置く。それを見て、オーナーはとても喜び「ありがとう」と内山に言った。
 あぁ、朝からお礼を言われるのはとても清々しくて。ちょっぴり恥ずかしい。
「…どういたしまして」


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