鳴り響くサイレン。高まる鼓動に興奮気味になりながら、怪盗は警察を撒いていた。 「鬼さんこちら、手のなる方へ」 まるで赤子の手を捻るように容易く、怪盗は綺麗な四肢を翻しながら目的であるブラックパールを持って逃げている。次々に現れる警官は時には壁に、時には仲間同士にぶつかりあい、無邪気に遊ぶ童に踊らされていた。 十分位したころ、怪盗は警官を全て撒き終え、窓から外へと逃げ出す。が、しかし。彼女の悪い癖が現れ、足を窓の桟に引っ掛けてしまい翻していたその身は外へと投げ出されてしまった。 「…っ!」 腹部から落ちてしまい、どうしようもない痛みがこみ上げてくる…と思っていたら、手に柔らかい感触がして怪盗は目を開ける。そこに居たのは一人の男で、怪盗が握っていたものはその男の股間であった。 「……!」 怪盗は握ってしまった感触に叫びを上げそうになったが押し止め、即座に手を離すと雲に隠れていた月夜に照らされる前にその男の意識を停止させる。 男の顔は、股間を握られた相手だったにも関わらず、怪盗をとても美しいものを見たような目で見つめていた。 〜月夜の晩〜 Act.0 プロローグ 「月浦、月浦!」 「えっ…」 目が覚め時計を見ると、午後十一時半をさし未結こと月浦未結は机の上という名のベッドから頭を擡げ、今は一体何の時間かと首を傾ぐ。視線の先には、今学校内で一番人気のある英語教師の西沢廣彰から問題を解けと強要の眼差しが送られていた。未結は段々と意識を現実に引き戻し、机にぶつかりながら教壇へ立つと英文の下に取られている解答欄をすらすらと埋めていく。 「これでいいでしょうか?」 「あぁ、眠っとったのにようでけたな」 「えぇ。理解力はある方ですから」 未結はにっこり微笑んで西沢を見ると、「せやけどちゃんと起きとけよ?」そう目で訴えられ、未結は一礼して着席を果たした。 昼休み。学食にありつくべく食堂に入って行くと、ひたすらラーメンを啜っていた裕太が気付き子供のように手を振った。未結は初め無視しようとしたが、近づいてくる相手によってそれはさせてもらえなかった。梶村裕太は小走りに未結の元へ走り、その手を握ると有無を言わせず自分の席の前に着かせて、満足げに自分のラーメンをまた啜り始める。 こういうとき、いつも裕太は何かを企んでいることが多かった。未結は至極かったるそうにしながら、裕太の言葉を待つ。すると、ラーメンに集中していたはずの裕太が突如箸をこちらにびしっと向け(実際マナー違反だと言いたかったが)お前さ…と話を切り出した。 「お前さ、西沢に呼ばれよるのにめっちゃ爆睡しとったなぁ。しかも、起き抜けは酷い顔やったし」 やはりこの話題か。ニヤニヤと笑うお猿さんを見て未結は深くため息を吐いた。裕太はいつもそうなのだ。何かと未結が失態をしでかす度に話を持ち出してくすくすと笑う。全く好まれない趣味を持ったもんだ。 そんな風に思われているのも露知らず、裕太は腹抱えて笑いながら話を進める。 「せやのに、すらすら問題解きよるんやもん。西沢の顔見たか?素っ頓狂な表情やったでぇ」 「裕太だったら、目を覚ますことすらできなさそうよね」 いつまでも続きそうだったので、未結がとどめの一発を発射すると銃弾は見事裕太に命中し、心にはぐっさりと銃痕が残った。 夕方になり、下校の寂しい音楽が鳴る中。裕太と未結は揃って目の前のバスに乗り、都会にあるゲーセンへやってきた。 騒がしいゲーム音。あっちでは音ゲー、こっちではレーシングとあちらこちらに所狭しとおかれたゲーム機の中からずば抜けて未結がお気に入りのゲーム『シューティングゲーム』の元へ駆け寄ると、硬貨を一つ入れて、開始されるゲーム。 「…おぉ」 目の前で繰り広げられるシューティングは、本当に銃を持ってるんじゃないかという感じで。銃の捌き方は目を見張るものがあった。そしてそれを横で見ていた裕太は鼻高々。ストレス発散してすっきりした未結に近寄り、すげぇすげぇと連呼した。 「裕太、それいっつも言ってるじゃない」 「せやけど凄いんやもん!今言わずにいつ言うん?」 未結の利き手である左手を握り、裕太は人気タレントに会って興奮した人がぶんぶん相手の手を振るような形になる。野次馬の連中もそれにのっかるように未結に近づいて行き、ずいっと手を差し出して来た。彼女らが来るときに必ずといっていいほどなる光景。ゲーセンの店員が気の知れた人だったからいいものの、これが別の地域でやられれば、摘み出されるのは間違いない。次々に入れ替わる左手の相手を見ながら未結は深くため息を吐いた。 しばらくそれが続き、そろそろもう一度ゲームがしたいなぁと考えていた頃、紺のニットベストで隠れた制服のブラウスの胸ポケットに入れていた携帯がバイブで未結に知らせる。一度で切れなかったので電話かと思いもう片方の手で携帯を出すとボタンを押して受け答え。 「もしもし」 「あぁ、未結。どこおると?」 ゆったりとした口調で未結に話す相手、内山竜。彼女の両親が失踪し、身寄りのない彼女を引き取り保護者になった人物で、昔九州でカフェを開いていたので少々そちらの訛りが抜けきれなかったりする。 内山が「ちょっと早く帰って来てくれんかな」受話器の向こうで切羽詰まったように言うと、未結はシューティングのコントローラーと握られていた手を離してもらい、もみくちゃにされて乱された髪を手櫛で梳くと「すぐ帰る」そう言って携帯の電源を切った。 「え?誰からの電話やったん?」 携帯を元の胸ポケットの位置に仕舞うと、きょとんとした…まさに純真無垢な子供のような表情で裕太が聞く。未結は「ラコンドから呼び出し」と告げ、踵を返して裕太を家に帰し自分は内山が経営するカフェ『ラコンド』に向かった。 ―裏地。 秋地町の裏の情報を管理する地域。ある種、この町の実権を握っていると言っても過言ではないが、基本的に表社会には現れないような人たちの場所。その中にあるカフェ「ラコンド」を経営する内山は、この裏地に舞い込む仕事の仲介人で、その姿を隠すためにカフェのマスターをしている。そして、その仕事を依頼する相手だが…。 「はい、到着。裕太と一緒にいる時間だからさ、ちょっと誤魔化すのに手間取ったよ」 そう彼女である。彼女は表社会では普通の女子高校生として生きているが、幼い頃からの内山の教育でいまや裏地の救世主とも呼ばれるほどの大怪盗である。なぜ、怪盗が救世主なのか?それは、彼女に依頼される…要するに盗むべき目標は全て何らかの形で奪われたり、無理矢理買い取られたりした品々ばかり。彼女はそれを盗み出し全て丸く収まった所で持ち主に返す。というのが彼女の仕事。まぁ、時折彼女の悪い癖で慌てて逃げようとすると窓の桟に引っ掛けるが。それでもやってのける仕事のレベルは、難易度Sの最高水準を極めていた。 未結はカウンター席に着くと、依頼状が投函されるこの店のご意見箱の裏についた蓋を開けて中身を確認する。中には一通の手紙が入っていて、手振りで内山にペーパーナイフを要求すると内山は手慣れたように物を渡し、未結は清楚な白を基調とされた封筒の封を切った。 中には奇麗に二つ折りされた便箋が一枚。開いてみると、簡潔に盗んで欲しい物品とその物がある場所、それから心ばかりなのか数枚の福沢諭吉が入っていた。 「…セレブ街のお仕事かぁ。警備が面倒なんだよねぇ」 お金もこう生で入ってるとやる気が萎えるというか…。一通り依頼状を読んでカウンターに置くと、未結は頭を抱えてそう言った。確かに彼女は難易度の高い仕事もこなすことができる。だがそれに伴い、この仕事をする時の…即ち彼女を動かす条件というものが確立しており、その条件に合致していないと動かないのだ。未結は福沢諭吉の数枚と便箋を仕舞い、封を人差し指と中指で挟んで弄びながら悩んでいた。 その様子を見て、カップを拭いていた内山は手を止め布巾とコップを横に置いて未結に耳打ちする。 「…その依頼主、すっごく困っとったおじいさんよ?」 すると先刻まで面倒だの何だの言っていた未結が頭を擡げ、手紙をもう一度確認して立ち上がる。 「今夜十二時決行にしましょう」 そしてそう力強く言い、封筒を置いて玄関へ向かう。全て内山の作戦通りだった。彼女は困っているお爺さん、お婆さんに弱く人助けのために動く。それから即決して行動を起こし、一度覚えたことは忘れないから福沢諭吉の入った封筒も置いて帰ると…。 「あ、諭吉はいる」 「…俺にも仲介料くれんと?」 「一割ね」 「けちやん!」 「ケチで結構」 → |
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