『つかの間の話』

 忍の恋物語も、周囲にとって「あぁ、かゆい」と言われそうなもんだが、この学校のグラウンドにも、そんな痒いところに手が届かないような恋があった。

「はい、そこ! ペース落ちてるわよ。あんたたち、それでも一軍になりたいと思ってるの。自分の夢叶えたかったら、限界越えてでもやるくらいしなさいよ」
「は……っはい!」

 グラウンド隅に位置する野球部ベンチから聞こえるのは、三年マネージャーの高柳祥子。
 思い出せるだろうか。彼女は以前忍とぶつかったことがあり、学内ベスト5に入る先輩だ。
 黒髪のショートカットに、切れ長の瞳。少し高飛車なところがあるが、その薄い唇から発せられる言葉は選手一人ひとりの癖を見抜いており、最近ベスト4入りするほどの実力になったのは彼女のおかげとも言っていい。
 一部からは『戦いの女神』と言われる彼女のことが好きなのは、この野球部の二軍にいる仙田光照という男だ。
 彼は、忍達と同じクラスの二年で、小学校の頃から野球の経験ありというなかなかのベテランだ。けれども、体つきが普通のスポーツマンと比べ、かなりふっくらしているために足が遅く、ここ数年大会では一度も試合に出たことはなく、いつだってベンチを温めているだけであった。
 母に照子、父に光男を持つ彼。
 いつぞやにはやつゲームでは、格好のネタにされていたのも記憶に新しいのだが――今年の夏の彼は、一味違った。

 その彼の変化に最初に気付いたのは、草介だった。

「あれ、光っちゃん。もう食べないの?」

 昼休み。いつものように彼女の加奈子との素敵な食事を終え、新商品の『かぼちゃムースポッキー』を銜えながらもどってくると、前のドアのすぐ横に座している仙田が、ほとんど残っている弁当の蓋を閉めているところだった。

「うん。もうお腹いっぱいで」

 普段お重箱三段を一人でぺろりと平らげてしまうほどの大食漢だというのに、その十分の一にも満たない一段の弁当の中身をほとんど残してしまうなんてどうしたのだろうと、草介は慌てて持っていたムースポッキーを仙田の口に銜えさせる。

「う〜ん、熱はないみたい」

 体温計代わりにしていたムースポッキーの端を折って自分の口に入れながらそう言う草介。
 その行動は仙田を驚かせるのには充分だったが、なるべく平然を装って笑みをみせると「別に風邪じゃないよ」弁当を片付けるのを再開しながら答えた。

「僕はこの不必要な体とさよならするんだ。そして――」



 次に気付いたのは杉山だった。

「ぅおりゃあ!」

 野球部の使用しているグラウンドのテリトリーから一番離れている図書室まで聞こえてくる仙田の雄叫び。柄にもなく、片付けるために積み上げて持っていた本を落としそうになった杉山は、一番グラウンドを見渡せる位置まで歩いていき、そこにいつも居座っている都と何が起こっているかを確認した。

「仙田君、すごく頑張ってるね」
「あ、あぁ……」

 タイヤ三つと体をロープで結びつけ、グラウンド中を疾走する彼。体を壊したりしないだろうかと杉山は思ったが、周りが止めないということは大丈夫なのだろう。しかし、

「仙田はいったいどうしたんだ」



 その全貌は、彼の昔からの馴染みである忍が語ってくれた。

「あぁ、仙ちゃんね。彼さ、小学校の頃から好きな奴がいてね――」

 ――そりゃもう、かなりの高飛車な人で、仙ちゃんには似合わずの美人な年上なんだけど。ずっと本気でさ。理由は「あなたがキャッチャーなら、どんなピッチャーも安心できると思うわ」って言われたからだって。
 でも、仙ちゃん一度も試合に出たことないでしょ?
 いつかその姿を見てもらうんだって、勉強頑張ってこの学校入ったのに、それでもだめ。もう諦めようかとも思ってたらしいんだけど……。


「諦めるの?」
「高柳先輩……」

 放課後の部活中、練習を放り出して水道のところで頭を冷やしていると、不意に声が聞こえて顔を上げる仙田。
 そこには、静かにスコアブックを持ったまま見つめてくる高柳が立っていたのだった。

「あなたはもう少し見込みがあると思ったけど、私の読みが甘かったみたいね」

 なんの感情も伺うことも出来ず、何も言えなくなる仙田。昔、自分がいいキャッチャーになると言ってくれた同じ口で『見込み違い』だと言わせてしまったのが不甲斐なくて、彼女の目を見ることはできなかった。
 好きな人にそんな風に言われ、なんとかしてもう一度認められたい。先輩の目に狂いはなかったと証明したい。


「だから今、あれだけ頑張ってるんだと」

 あっついねぇと言う忍の横で、話を聞いていた草介と杉山は屋上からグラウンドん見つめる。
 そこでは、全力疾走して高柳の前に立つ仙田がいた。


「せ……、先輩!」
「何、仙田君」

 スコアブックを広げながら、反射的に返事だけを返す高柳。見限られて顔も見てくれないのかと仙田は涙が出そうになったが、それを引っ込め、震える気持ちをしゃんとさせて、グラウンド中に響き渡るほどの大きさで叫んだのだった。

「僕は、先輩の目に狂いはなかったことをこの夏絶対証明してみせます。もし、証明できた時は、ぼ……僕は、先輩に……す、す」

 自分の気持ちを伝えたくて、でもここまできて恥ずかしさがこみ上げてきて。
 屋上でフェンス握り締めて、その様子を見ていた三人も息を呑んで――。

「早く言っちゃえよ!」
「忍っち、静かに」


「スキンシップしてもいいですか!」
「それは困るわ」

 思わず口をついて出た言葉に、高柳は冷静に答えを返す。何を言ったかいまいち把握してなかった仙田は、自分の言葉をリフレインさせる。

「あ、いや、そうじゃなくて、えと、僕……」

 何を言ったのか理解できて、とんでもないことを口走ってしまったとあたふたする仙田。それと対称的に高柳は静かに微笑むと、彼の頭の上に手を置いた。

「え……えっ!」

 口から心臓が飛び出そうな展開についていけず、目を白黒させながら、ことの成り行きを他人ごとのように見守っていると、乗せられた手でくしゃりと撫でられた。

「スキンシップは困るけれど、証明してくれたのなら、その時は何かしてあげるわ」

 だから頑張りなさい、と手をひらひらさせながら去っていく高柳。その後ろ姿を見つめながら、仙田は心に闘志を燃やすのだった。



09.08.08 UP

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